TOEIC300点からの海外転職
ドコモではどんな仕事を?
IPフォンの開発に関わるプロジェクトマネージャーをやりました。実際にプログラミングをするのは、NECやマイクロソフトの技術者たち。自分の仕事はそれを統括することであって、プログラミングを行うことではありませんでした。
なので、そういった業務委託をしているエンジニアの方々にへばりついて勉強させてもらいました。上司からは怒られたりもしましたが、のらりくらりかわして、朝から晩まで、時には土日もプログラミングの技術を学んでいましたね。土日が、他の人と差をつけるチャンスだと思っていましたからね。
一方、プロジェクトでは海外とのやりとりも発生していました。もちろん英語なんですが、なぜかドコモだけに通訳がついてミーティングしていたんです。
酒井さんの当時の英語レベルはどれくらいでしたか?
なんと、TOEIC300点台でした。ミーティングでも通訳に頼りっぱなし、当時の私の英語は出川哲郎さんのような英語でした(笑)
当時は海外で働こうとは思っていなかったので、英語を学ぶ必要性をまったく感じていなかったんですよ。だから、出川英語でも全然恥ずかしくなかったし、勉強しようとも思わなかったです。
いつから、海外を志向するようになったんでしょうか。
次第に、ドコモにだけ通訳がついている状態が「おかしい」と思うようになりました。英語での仕事が増えて少しずつ勉強するようになると、通訳が時々誤った訳をしていることにも気付くようになったんです。
「このままでは世界のレベルから置いていかれる」と危機感を覚えました。
どうやって英語の勉強を?
最初はありきたりですけど、6回通って20万円くらいする英会話教室に通いました。でも、途中で40分の授業×6回で英会話教室に通うくらいなら、そのお金で海外旅行に行った方が長い時間英語に触れられることに気づいて。その瞬間、英会話教室がまったくの無意味に思えてやめました。
日本で安価に長時間、英語に触れるには英語ネイティブの友達を作ればいいことに気付き、外国人のサッカーコミュニティを見つけて、そこでサッカーを始めました。サッカーで活躍すると、また呼んでくれるんです。そのメンバーで六本木に繰り出して、お酒を飲みながら英語をたくさん話しました。
最終的には、そのメンバーの一人とルームシェアするようになります。この頃には、随分英語も話せるようになっていました。英語って意外と簡単に学べるんだな、と思いましたね。
独自の勉強法で、TOEIC300点から、ネイティブの方とルームシェアするまでに至ったのか…。
同時に、海外への転職活動も始めました。このまま日本にいたら、世界に置いていかれると思ったからです。
当時のアメリカの求人は、州問わず片っ端から調べましたし、求人で求められているプログラミングスキルを中心に勉強しました。
やはり、海外転職となると英語力がネックになってくるのでしょうか。
みんなそう思って一生懸命に英会話教室に通うんですけれど、一番重要なのは「ビザ」をいかに取得するかということです。いくら英語ができても、アメリカで働くビザが下りなければ働けませんから。
ビザ取得のために、二つの道を用意しました。ひとつはエンジニアとしてHRBという就労ビザを取得すること。そしてもうひとつは、日本にいながらアメリカで会社を作り、経営者ビザで渡米することでした。
日本にいながら、アメリカで会社を作る…?そんなことできるんですか?
できますよ。私は、ハワイで登記しました。
当時、日本で起業するには資本金1000万円が必要だった一方、アメリカは10万円で設立することができたんです。私はたった10万円で米国株式会社代表取締役って言えるってことです。別にアメリカに住んでいる必要はないので、WEBのシステム制作を受注し、日本でコーディングして納品していました。
社長という肩書きがつくと、関わる人も起業家や経営者が増えました。正直な話、法人税も売上も10〜20万円ほどだったので利益にはなっていません。でも、それ以上に経営者としての大きな経験を得ることができたんです。
なるほど。ビジネスを、大学や本ではなく実際の経営で学ばれたということですね。
結局、どちらのビザで渡米されたんですか?
就労ビザで渡米しました。
いい求人があればすぐに応募できる状態を作っていたところ、シリコンバレーの日系企業でエンジニアの募集がありました。数日後、面接のために休みをとってシリコンバレーへ。帰路の空港で、すぐに内定の連絡をいただきました。
すごいスピード感!
海外転職で日本語と英語が話せる人材を求めている場合は、ライバルは現地に住む日本人ということになります。
そうすると、スピード感で負けてしまうと不利になるんですよね。そこは意識しました。
なるほどなるほど。
それにしても、旅行でしか行ったことのない異国の地で働くことに抵抗はなかったんでしょうか?
不安がなくなるように、徹底的に調べていたのでまったく抵抗はなかったですね。空港を出て、どちらに曲がるかまで頭に叩き込んでありましたから(笑)
アメリカに渡られてからも、何度か転職されているんですよね?
そうです。現在勤めているSplunkで3社目です。最初に勤めた日系企業は、リーマンショックで倒産してしまったんですが、勤めて3年目でしたし、ちょうど転職の準備をしていました。
面接対策も行い、毎月、自分がアプライ(応募)できそうな企業リストを常に作っていたんです。だから、急な解雇にも対応できた。
ビザが切れると強制帰国となるため、会社が倒産してから10日間しか猶予はありませんでした。転職の準備をしていなかったら、今ここにはいないでしょうね。
またもや、徹底的な準備が功を奏したわけですね。
次も日系企業に3年ほど勤め、今いるSplunkに転職しました。ここが、初めてのアメリカ企業への就職でした。ここへの転職の決め手は、IPOしそうだという情報を得たからです。
IPO…つまり、新規上場ということですね。
IPOしそうな会社に転職するメリットってなんですか?
IPOした時に、ストックオプションがもらえるんです。私が転職してすぐにSplunkは上場しました。私は直後だったのでそれほど多くはもらえませんでしたが、5年勤めた同僚は5億円ほどもらっていましたね。
億…!
IPOホッパーと言って、IPOしそうな会社に転職を繰り返して何十億もゲットしている人もいるんですよ。好きなことで仕事を選ぶと、やりがいとか損得勘定抜きでって発想になりがちですけれど、私は好きなことを仕事にしているわけではないので、どうやって効率的に稼ぎ、余暇時間を作るかという発想になるわけです。
現在、1日の勤務時間はどれくらいですか?
9時から夕方の4時くらいですね。風邪気味のときは2週間出社せずに家からリモートワークしていました。コロナ禍にあっても、リモートワークが根付いていますから何の支障もありません。
勝手なイメージですけれど、アメリカ企業って解雇と隣り合わせで、社員同士の繋がりというか、温かみがないようなイメージがあるんです。実際に働かれていかがですか?
私は、日本企業の方がチームワークがないと思うんですよ。
アメリカは、個々人のスキルが明確化されているので、誰に何を任せるのが最適かをマネージャーがわかっています。だから欠員が出た時も、チームとして最大の成果が出せるようなチーム編成にすぐ変えることができる。
一方日本では、「マンネリ化しないために」「癒着しないように」と数年ごとに意味のない人事異動があって、ゼロから仕事を覚えさせたりするでしょ?仕事が属人化しやすく、休みづらい。それって、本当に働きやすい職場環境なんでしょうか。
会社の中で思い通りの仕事ができずに悩んでいる人は、「スキルの明文化」ができていないのかもしれませんね。
これから描いている人生
現在、YouTubeとかオンライン講座講師など、副業にも力を入れておられますよね。
そうです。プログラミングスキルを中心にオンライン講座UdemyやYouTubeで発信しています。YouTubeは5000人以上の登録者になり、Udemyでの収益は4,000万円を超えました。
すごい…!本業以外の時間、つまり自由な時間を副業に当てようと考えられたわけですね。
私は、自由が欲しくて会社を辞めて、フリーランスになりました。でも、結局稼ぐのに必死で、自由な時間ってほとんどなくなってしまったんです。
史菜さんがもし、10億円貯金してからフリーランスになって好きなことをしていたら、まさに「自由」を謳歌できているはずですよね。
私は、「お金=自由な時間」だと思っているんですよ。だから、今は本業と副業で稼ぎ、いずれは自由な時間をたっぷりと手に入れようと思っています。
それだけ稼がれて、今後どんな人生を歩もうと思っておられるんですか?
正直、シリコンバレーは非常に物価が高いので、出ていくお金も多いんです。
だから物価の低い国に移住して、悠々自適に過ごしたいと思っています。好きな時にサッカーをして、子供たちにプログラミングを教え、会社を作って時々仕事をする。そんな風に考えています。
ご家族は、そんな人生プランについて賛成されているんですか?
妻には「いかに素敵な生活が待っているか」をプレゼンして賛成してもらってます。
転職とか、移住とかで家族からの反対にあうって声も聞くんですが、それはプレゼンが下手だからです。ちゃんと家族にとってのメリットを伝えていかないといけないと思います。
家族への説得で悩んでいる方に、ぜひ参考にしていただきたい…!!
そういえば、奥様とはどんな出会いだったんですか?
結婚したのはアメリカに来てからですが、出会ったのは社会人2年目のとき。妻は帰国子女のため、日本で英語を学べるイベントを開催していて、そこに参加したのがきっかけで出会いました。海外転職が叶ったのは妻のおかげなんです。
僕がシリコンバレーに転職した頃、妻もシリコンバレーのデロイトトーマツに就職していました。そこで交際がスタートし、結婚に至ったわけです。
酒井さんの結婚観が気になります。結婚の決め手は…?
ものすごく古い価値観だと言われるかもしれませんが、「家庭を守ってくれる」と感じたからですかね…。「父親は一家の大黒柱」という家に育ったので、それが影響して昔気質な価値観をもっているのです。
まあでも結局、「なぜこの人を選んだか」に理由はないかもしれません。直感ですね。それが恋愛っていうものではないでしょうか(笑)
酒井さんから恋愛観について伺うのは初めてだったので、新鮮でした。
本日もありがとうございました!
大学では日本トップレベルでサッカーしていたのに、エンジニアに転向してシリコンバレーでバリバリ稼いでいる上に、副業でもかなりの売り上げをあげていて、面白い人生設計をしていて…。
1人で”盛り沢山”な酒井潤さん。
酒井さんの考え方を、出来るだけ多くの方に知っていただきたいという思いから、「をかしな編集部」主催オンライン講演会を実施することにしました。人生選択に悩んでいる人、一歩を踏み出せずにいる人…そんなみなさんにぜひご参加いただきたいです。
▲講演会詳細はこちらからご覧いただけます。
酒井潤(さかい・じゅん)
1998年同志社大学神学部卒業。
サッカー推薦で入学し、在学時は大学日本代表に選抜される。
2002年北陸先端科学技術大学院大学情報科学専攻修士卒業。
2004年NTTドコモ入社、2005年ハワイで起業。
その後、米国にて複数社勤務後、現在は全米給与ランキング4位の米国スプランクにてソフトウェアエンジニアとして勤務。
Twitter:
@sakaijun
YouTube:
シリエン戦隊JUN TV