Guest:白木福次郎さん / Text:中﨑史菜

以前、「をかしのカンヅメ」の取材に応じてくれたシンガーソングライターの山田祥子さんが、かつて勤めていた仙台の一般社団法人「アート・インクルージョン」の代表理事・白木福次郎さんに会いにいくことにした。

「アート・インクルージョン」は、芸術文化活動(アート)を通して障がいの有無や性別、年齢、国籍を超え、世界が繋がることを目指す一般社団法人だ。障害のある方がアートな仕事で自立できるように支援するなど、アートによる福祉のあり方を模索している。

「アート」を「仕事」にできる人なんて、才能のあるほんの一握りの人たちだというのが通説だろう。でも、それにあえて取り組んでいる白木さんとはどんな人なんだろう。

取材当日は、ちょうど仙台市内でバリアフリーなアート市「Ai どんどこ市」が行われていた。アート作品の販売や音楽会が仙台中心街のアーケードで楽しめるイベントだ。

経営と、ボランティアと

今日はイベントのお忙しい中、お時間いただきありがとうございます。
白木さんは、生まれも育ちも仙台ですよね。働き始めるまでのこと、教えてください。

僕は3人兄弟なんですが、全員体操をやっていました。みんな国体インターハイ行ってるんですよ。

大学でも続けていましたが、平行棒の練習中に持ち損ねて指を骨折したこともありました。まあ、そのまま徹夜でマージャンしてましたけどね(笑)

さすがのパワーですね!大学卒業後は?

実家が文房具屋なもので、神奈川の文房具屋で修行しました。ガンガンしごかれてましたね。店の上に住んでましたから、朝から晩まで、ご飯を食べるのと寝る以外はずっと働いていました。

白木さんは文房具屋の何代目でいらっしゃるんですか?跡を継ぐことは小さいから決まっておられたのでしょうか。

三代目です。兄と2人で会社をやっていこうと話していました。大学で経済を学んで、丁稚奉公を経て仙台に帰ってきたわけです。親父が個人経営していた店を株式会社にして、どんどん広げていきました。

25歳だった昭和47年(1972年)から8年ほど前までずっと経営していました。

どれくらいの規模の会社を経営されていたんですか?

当時は5〜60人くらいの会社でした。現在は10店舗ほどまで拡大しているので、もう少し増えています。今はたしか、年商70憶円くらいあるのかな。

社長をやりながらスペシャルオリンピックスの役員などもやっていました。知的障害の方々のスポーツライフを支えるボランティアです。

文房具屋さんをやっておられた白木さんが、経営以外の活動の幅を広げた理由はなんだったのでしょう?

単に、友人に「手伝って欲しい」と言われたのがきっかけです。

小さい時から体操をやっていたのでスポーツ自体には馴染みがあったのですが、正直、ボランティアにはあまり興味がなかったですね。

ただ、姉が勤めていたのが、ソニー創業者の井深大さんが立ち上げた知的障害者の施設だったんですよ。僕が中学三年の時に兄貴とその施設に訪問して、逆立ちとか体操の技を披露したら喜んでくれたのはよく覚えています。正直そのときは、特になんのためにやっているか考えずに、姉について行っただけでしたが。

今思えば、あれが最初のボランティア経験でした。

ビジネスと違う世界を見た

スペシャルオリンピックに関わりはじめて、どれくらい経つのですか?

1995年からですから、今年で26年目ですね。スペシャルオリンピックスというのは、都道府県ごとに行われるんですが、つくったときは宮城が全国で6番目でした。今は全都道府県にありますよ。

なんだかんだやっていると、日本全体の役員になっていました。だから、東京へはよく行くんです。

経営されながらのボランティア活動、相当お忙しかったのではないですか?

月曜から金曜は自分の仕事をやって、土日は毎週スペシャルオリンピックス。「物好きなやつだな」って周りからはさんざん言われてました。

どうしてそれだけコミットできたんでしょうか。

障がいのある人との関わりで、幾度となく感動を味わったからだと思います。

例えば最初は自閉症の方から反応が返ってこなくて「俺、嫌われてるのかも」と思っていたんです。でも、何回も会ううちにだんだん相手のことがわかってくるんですよね。いつの間にか手をつないでくれたりとかね。待っててくれる人がいるという喜びに変わるわけです。

てんかん発作がひどくて、車いす生活だった男性のことも印象深いです。体操を教えようと思っても、体操どころか「歩行」ができないので、2人がかりで支えて歩行練習をするんです。スペシャルオリンピックスには男性でも「平均台」という種目があって、それに挑戦することになっていました。何年も、2人がかりで支えて一歩一歩進む練習をしていきました。脇で彼のことを支えていると、彼は一言も喋れないんだけれど「やるぞ」っていう気迫みたいなものが伝わってくるんですよ。自分ひとりで足を出すようになっていくのがわかるんです。

そういった体験は、普段のビジネスの世界と違う世界。それに勇気づけられました。肌から伝わってくるものがあって、喝を入れられていると思いましたね。「いいかげんにするなよ!」みたいなね(笑)

土日に家でゴロゴロして休んでいるより、よっぽど良かったと思うんです。だから、今も休まない体になってしまって。休むと逆に具合が悪くなるんですよ。

お元気だなあ…!
平日はド経営者の頭、でも土日はどちらかというと感性とか感覚の人の本質にせまらないといけない。難しい切り替えだと思うのですが、いかがですか?

正直な話をすると、ビジネスの場面では人を消耗品のように使って、クビを切ったりもしました。そんな企業ははっきり言ってダメになります。

弱い人の立場に立つことができる経営者の方が絶対に伸びる。短絡的な利益を求めても、長い目で見れば生き残れないですよ。それは障がい者の方々との交流の中でつくづく実感しましたね。

だから、アート・インクルージョンでも一人一人を大切にしています。障がいの有無にかかわらず、周りの人たち全員に対してそうしなければ、うまく回りません。

福祉に関わって、経営観が大きく変わったということですね。

まったく変わりました。正反対になりました。

「障がいがある人は生産性がない」なんて言葉を聞くこともありますが、とんでもないことです。

エネルギーというと「スピード」とか「強い」っていうイメージだけど、そういうのじゃない。ゆっくりしたエネルギーもあるんだよ、ってみんなに伝えたいですね。

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