ついに、オリンピックイヤーがやってきた。
2020年東京オリンピックから正式種目となる「3×3(スリー・エックス・スリー)」の国内唯一の専任選手として活動しながら、自らスポンサーを募り、女子の3×3リーグ「3W(トリプルダブル)」を立ち上げた人がいる。――矢野良子選手だ。
バスケットボールをやっていれば、その名を知らない人はいないだろう。かつてバスケットボール選手だった私も、その姿に憧れていた。178cmの恵まれた身体で、5人制バスケでオリンピックにも出場。世界を見てきた人に話を聞けるなんて、ワクワクする。
3×3とは、3対3で行うバスケットボールの一種目。かつてストリートで行われていた3人制バスケットボールが、世界統一ルールのもとで正式種目となったのだ。
矢野選手に、バスケットボールとの出会いやスポーツ界の実際、5人制バスケから3×3への転向や今後の展望をじっくり聞いた。
母の一言がすべての始まりだった
実は私も、高校生までは一介のバスケットボールプレイヤーでしたが、私にはプロでバスケを続けるという選択肢が全くありませんでした。
部活動でやっていたことを、職業にした大きな理由はなんだったんですか?
大きな理由なんてないです(笑)
基本的に私は節々で、母親に影響を受けているんですよ。大学や専門学校に進学したかったんですが、「お前に学校に行かせるお金はないから働いてくれ」って母親に言われてバスケを続けたようなものなので…。
もしかして、バスケットボールを始めたのもお母さんがきっかけだったんでしょうか。
そうです。小学4年生のとき母親に「バレーボールやりたい」って言ったら、「一番上の姉ちゃんのおふるを着てほしいからバスケットボールにしな」と言われて逆らえなくて。
そうだったんですか!母は強いですねぇ。
うちは、母親の一言で決まるんですよ(笑)
確か、三姉妹でいらっしゃるとか。みなさんバスケットボールをされていたんですか?
はい。私は三姉妹の末っ子です。みんな身長は高いですね。
矢野さんがバスケを始めるきっかけとなった、一番上のお姉さんがバスケを始めたきっかけはなんだったのでしょうか。
姉は、学校中の部活にすべて入部してバスケに落ち着いたらしいんですよね。田舎の小さな学校だったので、野球部とサッカー部には男子しかいなかったんですが、そこも例外なく入部してみたそうです。でも試合には出られなくておもしろくないから、バスケにしたんだとか。
見学じゃなくて、入部して?
そう。部活を全部やってみて決めたそうです。見学なんかで満足する家族じゃないんですよ。
面白いご家族だ!(笑)
矢野さんの中学校のバスケレベルは、どれくらいだったんですか?
私の代では全国に出場しましたが、常連校ではなかったですね。
高校はバスケの強さで選ばれたんですか?
バスケを辞めたかったんですが、どうしても受験というものが付きまとうので、バスケの推薦がある高校にしました。楽しようとしたんですよね(笑)
高校卒業後は、本当は製菓専門学校に行きたいと思っていました。
なんと!パティシエになりたかったんですか?
うーん、というよりはお菓子を作るのが好きだった。
姉たちと初めてケーキを作ったときから夢中になっていました。それを見ていた父親が、知り合いの栄養学の先生にお願いして、大学で一緒にお菓子を作る機会をいただいて。「おもしろい!」って思ったのを覚えています。あ、でも食べないですよ、作って満足ですから。
食べるのは好きではない、と(笑)
別に生クリームとか好きじゃないから。ただデコレーションとかやりたくてケーキスポンジ焼いてやって終わり。お父さんに食べさせる。
お父さんだけが太っていく。
父は太らない体質だから大丈夫(笑)
父はクレープを作るための棒や、ケーキをデコレーションするためのターンテーブルも自作してくれたなあ。そういう環境にあったので、「作るのって楽しい!」と思っていました。
まあ、母の一言で、一瞬で製菓学校に行く夢が破れましたが(笑)
そうして高校卒業後、お姉さんが所属されていたジャパンエナジー(現JX-ENEOS)に所属することにされたんですね。その時に上京され、バスケットボール選手としての生活が始まったと。
そうですね。卒業式の翌日にはもう入寮していました。四畳一間で風呂トイレ共同の寮でした。
それからの生活は毎日…
24時間、バスケばっかりです。
バスケ漬けの毎日に、しかも更に親元を離れるという環境の変化も加わって、そのときの心境はどのようなものだったんですか?
姉がいたので、親元を離れたことに不安はありませんでした。上京当時は怪我をしていて、見知らぬ土地の病院で手術から始まった生活だったので、三日くらいで辞めたいと思いましたね。それから三年目くらいまでは、毎日辞めたいって思っていたような…。
そんな大変な生活が待ち受けていたんですね…。
そのあとはどんな選手生活を送ってこられたんですか?
ジャパンエナジーに8年所属したあと、富士通レッドウェーブに移籍しました。今は「移籍」はそれほど珍しくはないですが、当時は結構珍しくて。とくに、私は一部から一部、つまりサッカーで言うとJ1からJ1の移籍。手続き上はハンコをもらえれば移籍できるのですが、なかなかハンコを押してもらえないのが普通でした。それが原因で引退する選手もたくさんいました。
そんな風潮の中で、移籍を決意されたわけですね。
はい。SNSで「死ね」「うらみます」「誰のおかげでバスケ出来てたと思ってんだ」って、さんざん書かれましたね。
そんな…。それにも耐えてこられたんですね。強いなあ。
いや、強くないです。結構へこみましたよ。言い返すこともできるけど、それだったらバスケで示そうと思いました。
富士通レッドウェーブに所属している間、ジャパンエナジーにはほとんど負けていません。
プロとしての示し方ですね。矢野さんが移籍されてから、富士通が優勝できるようになったんですよね。
ある意味、「恩返し」です。前に所属していたチームに負けるくらいなら移籍しないほうがよいですし。でももちろん、優勝は簡単ではありません。いつも4位〜5位をさまよっているチームをそこまで上げるのに辛さはありました。でも、恩返しはできたと思っています。
「プロのスポーツチーム」の雰囲気をもう少し詳しく教えてください。
部活と違うのは、お金をもらっているか・もらってないかっていう違いだけ。チームづくりの根本は変わらないです。
企業のプロチームだから、試合や練習で必要なお金は他の人が一生懸命働いたお金で成り立っていることを忘れないようにしよう、という意識はありましたが。
女子バスケットボール選手の方々は、どんな生活をしているんですか?
会社によっては15時まで働いてそのあと練習しているパターンもあれば、私がいた会社のように、シーズン中はバスケのみ、シーズンオフだけ短時間働きに行くパターンもあります。
私は2009年に再び移籍してトヨタ自動車アンテロープスでプレーしていましたが、現在はチームを引退しトヨタ自動車の「女子バスケットボール 3×3プレーヤー」として活動しています。月一回会社の人に会って、近況報告していますね。
トヨタのバスケットボールチームは引退したけれど、トヨタ自動車の社員として日本で唯一の3×3専属プレイヤーとなられたわけですね。
3×3(スリー・エックス・スリー)との出会い
とうとう2020年、東京オリンピックの年になりましたね。実は私、3×3のチケットが当たったので観に行くんですよ。
それはすごい!絶対に迫力があって面白いと思います。
「オリンピック」というのが、私の人生の中で大きなキーワードになっています。結局、ここまで現役を続けた理由って2004年にアテネオリンピックに出た後、オリンピック出場という夢が叶えられなくなっていたからなんです。
オリンピックと言えば、アテネオリンピック出場をかけた試合で、矢野さんが34点取って韓国に勝ったんですよね。
でももう、2004年のオリンピックに誰が選手として出ていたかなんて、誰も覚えてないでしょう? 2016年リオデジャネイロオリンピックでさえ怪しい(笑)
そんな時に、あと3年間くらい頑張れば、地元開催のオリンピックに出られるかもしれないことがわかった。自分が生きている中で、こんなことは2度とないと思って。中﨑さん(インタビュアー)が、こうして東京オリンピックの時に生きていて、チケットを持っていること自体すごいことだし。それなのに、もしかしたらそのコートに立てるかもしれないって言われたら、やるでしょ?目指すでしょ?
だから、2020年に3×3にステージを変えてでもオリンピックに出ようと決意しました。
今のお話を伺って、日本でオリンピックが開催される凄さを改めて感じました。
3×3のオリンピック出場までに、どんなステップがあるんですか?
開催国だからといって、自動的に出場権が得られるわけではないんです。ポイントを貯める必要があります。
ポイント?
3×3の大会は、「プロアマ問わず誰でも参加できる」んです。そして、大会で勝つと個人に対してポイントが溜まっていきます。日本国内の上位100プレイヤーが獲得したポイントの合計が日本のポイントになります。
世界ランキングで、日本が上位に入らなければ、開催国枠での出場も難しいでしょう。
(※取材時。女子の出場国枠での出場は見送られた)
それは知らなかった…。
でも、日本には女子がポイントを稼ぐための大会が一つもなかったから、自分で立ち上げて自ら出場することにしたんです。毎回、海外の大会に出場するわけにもいかないですしね。
最初は正直、ここまで自分がやるとは思ってなかったけどね。最終的に、自分で決めました。もうちょっと頑張ってみようって。
それが、3W(トリプルダブル)というリーグだったんですね!
そうです。「Woman」「Win」「World」から「3W」と名付けました。2018年の10月から始動し、2019年末までに14回大会を開催しました。
「私、オリンピックに出たいのにこのままじゃ出れないじゃん」という気持ち、それが原動力です。
すごいスピード感だなあ。
大会を運営されて、プレイヤーとしても出場されて、いかがでしたか?
「やってよかったな」の一言に尽きますね。
たとえバスケットボール協会にリーグ開催を進言しても、開催まで早くても数年かかるだろうし、そんな状況を人のせいにしてモヤモヤしてるくらいなら自分でやるべきだと思って始めたので。大会をやったおかげで自分自身も2019年夏のランキングでは日本人トップ10に入ったし、ほかの選手たちも感謝してくれたし…。
これまで、何人くらいのチームで運営されてきたんですか?
コアメンバーは5人。大会ごとに他のスタッフを入れます。SNS、エントリーの仕組みづくり、メール管理、当日のスタッフの管理…たくさん役割があるんですが、私はパソコンが得意ではないから、そこはほかの人に振った方が効率的なので任せています。
今後メンバーを増やしたり、リーグを大きくされていく予定はあるんですか?
もちろん大きくしたいけれど、資金がないのが問題なんです。
運営も大変で、国際連盟のルールブックに載っているルールから1つでも外れると、出場者がもらえるポイントが少なくなっちゃうの。基本的に、加点方式じゃなくて減点方式だから。
そうすると「ポイントダウンしないように」と慎重に運営しないといけないですね。
例えばどんな項目があるんですか?
「参加チームが11チーム以下」などに該当するとポイントが減ります。「40歳以上の選手はもらえるポイントが1グレードダウンする」なんて変なルールがあるんです。(※2020年2月現在)
え〜?なんでですか!?
おそらく3×3という競技を長く発展させていくために、10年後のヒロインを作りたいんだと思います。ちなみに、40歳以上に関してはすっごいシビア。だけどポイントの高い国際大会に出れば優遇される。つまり「歳とってても強いんだったらいいよ」ってね。
それにしても…。
「試合のデータは48時間以内に提出しないとだめ」とか…多すぎて私も覚えてないけど。
3×3は個人で大会を開催できるから自由だしすごい楽じゃんって思ってたけど、調べれば調べるほど、いろんな規定が出てきたんですよね。何十ページもあるルールブックだから。
今回、矢野さんはゼロから新しく自分の大会を作られたわけですよね。参加者はどのように増やしていったんですか?
立ち上げの時は、5人制のクラブを引退した選手たち30名くらいに声をかけました。
半分くらいの選手は結構熱心に口説いて参加してもらいましたね。でも、第一線は退いても別のクラブチームに所属したり、国体出てたりとバスケを続けていた選手も多くて。
現状、日本での3×3の盛り上がりはどんな感じなんでしょうか。
3×3はどの国も男子から始まっている競技です。日本の女子に関しては、2019年から始まったようなものです。決して盛り上がっている、とは言えないと思う。しかもなぜか、女子の国際大会には、国が選んだ代表選手しか出られないんです。
だから現状として私のような選手たちは、協会から選ばれた選手じゃないので国際大会に出場してポイントを稼ぐことができません。
え、そうなんですか。
日本人選手がポイントを稼いで日本全体のランキングを上げていく必要があるのに?
「5人制バスケの現役選手を3×3に出しておけば勝つでしょ」っていう安易な考えでいるから、世界ランキングがこの2ヶ月で随分下がっちゃった。
私たちがリーグを立ち上げて、何千万円もかけて半年でランキングをやっと上げたのに、その努力がたった2ヶ月で無になっちゃいました。
国として、計画的に強化していく必要がある時に、矢野さんがこんなに頑張っておられるのに…。一筋縄ではいかないですね。