をかしのカンヅメ Vol.8
公開日:2020_03_03

「午前アスリート、午後営業マン」が日本のバスケ界を変える|バスケットボール選手・矢野良子

Guest:矢野良子さん / Text:中﨑史菜

食事もトレーニングも自己管理が基本

お菓子作りがお好きだった、ということですが、スポーツ選手だと食べるものにも気を遣いますよね。食に対するこだわりはありますか?

名古屋にいた時は、寮食の味付けが濃くて口に合いませんでした。その頃は自分で作って調整していましたね。

栄養バランスも含め、自己管理されていたんですね。

独学で栄養について勉強しました。オーガニックのものを摂るようにしたり、なるべく脂肪とらないようにしたり。

そう言えば、こないだツイッターで「久しぶりに揚げ物食べた」って呟いておられましたね。

そうそう!本当にあれね、後悔した(笑)ダメージが大きかったですね。とんかつは一切れで十分な身体になりました。

トレーニングに関しても自己管理を徹底されているんでしょうか。

全部自分でやってますね。5人制バスケを引退する前の3年間は特に。

ランニングトレーニングとかウェイトルームでのトレーニングだけチームメイトと一緒にやって、それ以外のトレーニングに関しては、自分でやっていました。

それで身体が出来てないとか走れなかったりすれば文句を言われたかもしれませんが、そんなことを言わせないくらいに仕上げていたので。

さすがの一言です。。。

引退後のこと

3×3(スリー・エックス・スリー)が、2020年のオリンピックから正式種目になると確定した段階で、5人制バスケからの引退を決意されたんですか?

30歳過ぎたあたりから引退に関しては準備しておかなければ、と思っていました。

長い目で見たときに、どういう活動をしていけばよいかマネージャーと話すようになりました。明日「あなたはクビです」って言われても、手元に何も残らないなんて嫌だった。

その時に、「何がやりたいんだろう」って考え始めたんですよね。バスケを辞めたあと会社に残れますと言われたって、30歳過ぎて会社で働くのってすごく苦労するだろうなって。新人教育ならみんな優しく教えてくれるだろうけど、この歳では「そんなこともできないの」って絶対言われるでしょうしね。

引退後の方向性は悶々と考えておられた、と。

まあ、これだけ人生のほぼ全てをバスケで生きてきたら、もうバスケしかないんだろうとは思っていました。どういう風に収入を得ていくか考えた時に、例えばバスケットボールクリニックを開催するのは自分に向いていないなと思ったんです。

どうしてですか?矢野さんに教えてほしい人、たくさんいると思うんですが。

大前提として、人と同じことをするのが好きじゃないから(笑)

クリニックで 1人の選手の成長を見届けるのってすごい楽しいとは思うんですけど、それをその選手がチームに持ち帰って活かせるかは別問題。例えば、部活の顧問が私と180度違う指導をしていたら、私がクリニックをやる意味があまりないじゃないですか。かと言って、自分は学校の先生になりたいわけじゃない。

今でもどんな形で関わるか答えは見つかっていないけれど、一人の選手に対して、自分の伝えたいことを伝えきるような活動ができたらいいなあと思っています。

まだ模索中なんですね。

まだ引退していないので、まずはもっとスポーツを盛り上げる環境づくりを、誰もやっていない方向性で進めていきたい

30歳を越えてから、いろんな人と話す機会を増やしてきました。前のマネージャーとも頻繁にやりとりしながら、これからのことを模索しています。

矢野さんにとってのキーポイントは「人とは違うことをする」なんですね。

人と同じことしてたら、すぐ飽きちゃうので(笑)

最近は、付き合う人が変わってきています。例えば、現役のアメフトの選手や、スポーツビジネスをしている人など、これまで関わってこなかった人たちと関わるようになりました。

東京オリンピックの開催が決まって3×3に転向してからは、スポーツビジネスの現場にも顔を出すようになりました。正直、初めは業界用語が全くわからなくて「この人、何言ってるの?」って感じだったけど(笑)

これまで長くスポーツ界に身を置いてこられたのに、スポーツビジネス界隈の人たちとの関わりはそれほどなかったんですか?

だって、スポーツ選手はビジネスの中にいるだけだから。これまでのスポーツ界では、選手はスポーツをやることに集中して、儲けたお金の一部をもらうだけだった。

だから、ビジネス的な視点を後輩たちに伝えることも大事だと思っています。例えば明日クビになっても困らないように現役中から勉強するべきだし、スポーツ界で当たり前になっていることが当たり前じゃない世界を伝えていく必要があるなって。

私自身、何回かビジネスの現場に行くうちに知識も増えてきたし、ツイッターで新しく1人フォローするだけで学べることがたくさんあるし。

関わる人がどんどん変わってきているんですね。

別に、昔からの友人との縁を切っているわけではないですよ(笑)

この人とだったらこれができる、あの人とだったらあれができる、っていうアイディアが湧いてくるってことです。ひとつに囚われる気はさらさらなく、色々なことをやりたいので、幅広い人と会うようにしています。

ここだけの話、いろんな人に会えば会うほど、いろんな意見が入ってきて大変だ、煩わしいと思うことはないですか?

あまりないですね。

自分ができないことを、できる人から学んでできるようになる時間なんてない。それやってると気づいたら死んでると思うんです(笑)

だから、できる人に「一緒にやろう」と声をかけています。そうすれば、早く次のステップに進めるから。

3×3の国内リーグを矢野さんが立ち上げた時も、「できる人たち」と組んで始めたんでしょうか。

最終的にそうなった、というのが的確な表現かも。

最初は、資料づくりもアポイント取りも全部自分で管理していました。でも、いろんな人を繋いでもらっている中で、運営スキルの高い仲間に出会えて、アドバイスをたくさんもらったんです。それを取り入れることですごい勢いで物事が進み、役割分担ができるようになり、私は営業に専念できました。

リーグづくりの営業をする中で、企業の反応はどうでしたか?

活動を始めた当初は、「オリンピックまでまだ2年もあるでしょ」っていう反応すらありました。もう二度と行かないと思いましたね(笑)

私は人生掛けて、生きるか死ぬかでやってるのに、2年“も”だなんて、感覚の違いに驚いて。

日本サッカー協会からバスケットボール協会のトップになった川淵三郎さんにも会いに行きました。川淵さんは、ちゃんと話を聞いた上で、「まずはあなた自身がちゃんと発信していくこと。そもそも、世間はその現状を知らないんだから伝えてかないとだめだよ」という言葉をいただいて。そうすれば、協力してくれる人も増えてくると教わりました。

スポンサーはどのように集まっていきましたか?

知り合いの知り合い、が最初のスポンサーですね。

バスケ経験者で、バスケに関わりたいと言ってくれて。その人がさらに人を繋いでくれました。人の縁に恵まれました。

矢野さんの熱意が伝わったんですね。
これまでの人生で、それ以外に人の縁を感じた経験はありますか?

きっと、たくさんあるんです。でも、バスケットボール選手としてリーグにいると、リーグがあることが当たり前になってしまう。だから、人の縁を感じづらかったのかもしれません。

私はそこから飛び出して、何もないところにきて、ビジネスの世界に触れて、人との縁が大事なんだなって気づけるようになりました。練習時間割いてでも、スポンサー探しのために営業するような実体験がないとそれは難しい。

確かに。整った環境にあると、それが当たり前になってしまいますもんね。

2020年の、さらにその先のこと

プロの世界に入って、毎日バスケを辞めたいと思われていた矢野さんと、今現在、バスケのために動いている矢野さんが、どうもリンクしないです。ある瞬間から、バスケが大好きになったんですか?

バスケはずっと辞めたいけれど、ただ「いい形で終わりたい」という想いだけかな。

5人制バスケのリーグにいるときは、この身体で稼げるまで稼ぎたいと思っていました。別に引退する理由もなかったし、契約してもらえるなら稼げるだけ稼ごうと。やりたいことが別にあるわけじゃないですし。

そんな時に、2020年が東京でのオリンピックに決まって。しかも3×3が正式種目になるかもしれないと聞いて、それだったらやってみようと思って。

でも今年41歳だから、メディアにも年齢のことは必ず言われちゃいます。日本独特の文化なのかな。

ちゃんと選手が活躍できていていれば年齢は関係ないし、どんなこと言われても私は若手に負けてるとは思わない。でもそう言っておきながら、「最後のオリンピック」ってフレーズを営業に使ってるから、矛盾してるけどね(笑)

5人制バスケと3×3、両方やる選択肢もありましたか?

最初は両方やろうと思って、チームに打診しました。でも、「リーグ続けてもいいけれど、若手を育てる立場として活動してもらう」というようなことをチームに言われていて。それって、「引退してくれ」って言われたようなもんです。

めっちゃ未練はありましたが、それなら、3×3一本に絞った方が全力で取り組めると思って5人制からの引退を決意しました。

2020年の先については、どう考えておられるんでしょうか。次のオリンピックも目指しますか?

やめてよ〜!もうお腹いっぱいなんだって(笑)

2020年のオリンピックが終わると、3×3が下火になってしまうんじゃないかと懸念しているんです。

だからこそ、大会を継続してやっていこうと思う。そして、何年かかるかわからないけれど、日本で国際大会ができたら面白いと思っています。

3×3と5人制バスケ、どんな風に違うんでしょうか。

3×3は、個人種目。3×3ができたことによって、夢や選択肢が広がるといいなあ、と思っています。

例えば、5人制バスケにフィットしないけれど、バスケクリニックに通っている子供達がいます。でも、そういう子には試合の場がない。だから、そんな子たちの中から「3×3のプロになりたい」「3×3でオリンピックに出場したい」っていう選手が出てくるんじゃないかなと思うんです。チームにフィットしなかったからバスケを辞めるのではなく、3×3で活躍する選択肢ができたということです。

今は、5人制をやっていないと3×3に参加できないような風潮ができてしまっているけれど、そんなことはない。3×3一本でも夢が広がる道筋を作っていきたいんです。

5人制の日本代表登録選手は12人だけど、そこに3×3が加わることで世界で戦える人が1人でも増えたら嬉しい。

それではインタビューの最後に、必ず皆さんに聞いてる質問をさせてください。矢野さんのお仕事は何ですか?

午前アスリートで午後営業マン(笑)

営業マン!!

お金集め、です。

今、リーグ運営では何の収益もなくて、私自身は1円ももらってないんですよ。もちろん、運営に入ってくれている子たちにはバイト代払うけれどね。

私が選手として優勝しても、賞金はリーグ運営に回しています。自分たちで使ったって、そのときは幸せかもしれないけど、そのお金で一試合でも多く開催できるならそうしたい。

なるほど確かに、矢野さんは3×3を広める営業マンですね。
今日は貴重なお時間ありがとうございました。

ありがとうございました。


取材を終えてから飛び込んできたのは、女子3×3のオリンピック開催国枠での出場が叶わなかったというニュースだった。矢野さんの熱い話を聞いていただけに、開催前までの取り組みでなんとか変えられる未来があったのではないかと悔しくなった。

「オリンピックが日本にやってくる」

それを楽しむ立場で、数時間待ちのチケット販売でチケットを勝ち取り、オリンピックの特集もワクワクしながら見てきたけれど、ピッチで戦う人、ピッチで戦おうとしている人たちには、全く違う景色が見えているんだろう。

矢野さんが、他に流されずに“大きなもの”に立ち向かい続けている原動力はなんなのだろうか。「バスケへの愛ですか?」そんな質問をしたら、きっとこんな答えが返ってくるだろう。

「冗談じゃないよ〜、もうお腹いっぱいなんだよ(笑)」

矢野さん自身が「まだ見えない」と語る矢野さんの未来が、とても楽しみだ。

矢野良子(やの・りょうこ)
1978年12月20日徳島県生まれの女子バスケットボール選手。ポジションはフォワード。178cm。ニックネームは「リョウ」。「花の78年組」の一人。2004アテネオリンピック日本代表。現在、日本で唯一の3×3専任選手として活動しながら、自ら3×3のリーグ「3W」を運営している。

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