どうやら、最近の「将来の夢ランキング」にはYouTuber(ユーチューバー)がランクインしているらしい。
数々のアーティストとコラボした音楽動画を配信し、コラボしたアーティストはどんどん売れていく…。そんな伝説のようなYouTuberがいる。チャンネル登録数232万人超(2020年2月現在)(宮城県民の人口と同じくらいだ)。
その名は、KOBASOLO(コバソロ)。
かつてシンガーソングライターとして活動していた彼が、YouTubeでこれほどまでに注目されている理由は何だろう。
数ある音楽動画の中でも、ずば抜けているのはなぜだろう。
…というか、そもそもコバソロってどんな人なの?
コバソローー本名・小林真さんの自宅兼仕事場のマンションにお邪魔して、その素顔に迫った。
「まことって普通だよね」が変えた人生
こんにちは〜!
こんにちは!今日はよろしくお願いします。
数々のコバソロ動画は、このマンションで撮影されてきたんですね。
そうです。防音設備がある物件を探しました。周りの環境もよくて、川べりは散歩コースです。スーパーも近いですし。病院もあるしなかなか暮らしやすいですよ。
場所が特定されちゃうから、写真は撮れないんですけどね(笑)
ああ、確かに…。
あ、お水どうぞ飲んでください。持ち帰りやすいようにペットボトルにしたんで。
おもてなし精神がすごい。
いやいや逆です。おもてなし精神がなさすぎて、お茶とか用意できないんでペットボトルで。これ出しておけばいいじゃんって感覚です。
そうなんですか〜?(笑)でもすごくありがたいです。
今日はコバソロさんの人生についていろいろと伺いたいと思っています。
ものすごく変化球の多い人生なので、参考になるかどうか…(笑)
「変化球」と表現される、その変化のきっかけが知りたいんです!!
これまでの人生を振り返ったときに、一番のターニングポイントだったと思える瞬間はありますか?
一番のターニングポイントは小学4年のときかな。
学校の帰り道に友達の小林君に「まことって普通だよね」って言われたんです。
これがずーっと僕の中で残っていて、一個のアイデンティティを形成したと思っています。小林君は言ったことを覚えてないと思うんですけれど、本当にあの何気ない一言が僕にとってはすごいショックで。
おお。苗字が同じ小林君の一言が、大きな影響を持っていたんですね。
そうなんです(笑)でも、薄々気づいていたんです。「普通だなー」って。
走りが特別速いわけでもないし遅いわけでもないし、勉強が特別できるわけでもないしできないわけでもないし。やんちゃするわけでもないし特別おとなしいわけでもないし…。
音楽は得意だったのでは?
確かに他の教科と比べると音楽は得意でしたが、それも学年一番みたいなレベルではありませんでした。一方、友達の小林君はイケメンで、サッカーがとても上手くて(笑)
そんな小林君に「普通だよね」と言われたときから徐々に、普通であることが嫌になっていきました。みんなと同じ集団として認識されるのが苦手になってきたんです。
だから、何かを選択しないといけないときに、人が選ばない方向に振りはじめました。
小林君の一言が、今のコバソロさんを作っているのか…。
当時は岩手県に住んでいたんですが、帰り道に「ファル」っていうスーパーの前で言われたことまで鮮明に覚えていますね。頭を「ゴーン」って打たれたような衝撃でした。
人が選ばない方を選択するようになったとのことですが、具体的にどんな選択をしてこられたんですか?
中学生くらいまでは、なかなか「自分で選択する」大きな機会はないですよね。
でも高校受験のときにようやく自分で選択できるものが出てきて。多くの同級生が進学する高校ではなく、同じ中学からの進学は2人だけっていう高校に入学しました。
選択するときの判断材料のひとつになるのが「自分には何ができるのか」ということ。高校卒業後の進路を決めるにあたっては、自分がちょっとでもいいからできることを考えたときに出てきたのが「絵」と「音楽」の2つでした。
その2択から「音楽」の方を選んだきっかけは何だったのでしょうか。
高校最後の文化祭でみんなの前で歌ったら、すごいキャーキャー言われまして(笑)
「あ、これは音楽で行くしかない」と最後のひと押しになりました。そして、専門学校で音楽を学びました。
こうして、僕は音楽の道へ進むことになります。
それは大きなひと押しですね(笑)
そもそも音楽がお好きだったのは、ご家族の影響ですか?
両親は大学の先生と専業主婦だったので、音楽なんて全然やってないですし、僕が音楽を好きになったきっかけが両親にあったわけではないです。
でも、音楽の専門学校へ行きたいと伝えたとき、否定することなく「そうなの?わかった」と言われました。そして黙ってお金も出してくれて。
兄と弟がいるんですけど、2人とも何も言わなくても夏休みの宿題を最初の方に仕上げてしまうタイプ。親も「兄と弟がしっかりしてるからいいか」って思ったんだと思います(笑)
ちなみに僕は、8月31日に泣きながら宿題をやって、結局間に合わずに「まあいいか」ってなるタイプでした。
「ただの好き」でもいい
音楽の道を選ぶことができたコバソロさんから、今進路に悩んでいる人にアドバイスするとしたら、何と伝えますか?
誰にでも、自分の中で才能を感じる部分ってあると思うんですよ。僕のように歌うのが好きだとか、あるいはマンガ読むのが好きとか。それを「ただの好き」として捉えるか、才能として捉えるかは人によると思うんですけど。
たとえ「ただの好き」でもいいということでしょうか。
そうです。きっかけはなんでもいいと思うので。
例えば、歌も絵も上手な人って、両方を極める選択肢もありますよね。
コバソロさんには、どちらか一つに絞らなければいけないという思いがあったんでしょうか。
うーん。別に、一つに絞らなくてもいいと思うんです。
僕は、同時に二つのことをやるほど器用でないので「ぶわーっとのめりこんで、飽きて、次に行く」を繰り返してきました。
僕の場合、音楽についての専門的知識がほぼゼロだったので、学校に入ってからひたすら勉強したんですよ。そう考えると、僕は一つのことにのめりこむのが好きなんですよね。
コバソロさんの性格を生かした人生の歩み方なんですね。
そうですね。
頭が固いと思われるかもしれませんが、のめりこんでいる最中に他のことをするっていうのがちょっとした浮気心のように感じられて、罪悪感があるんです。
なるほど(笑)
今はもうちょっとゆるく考えられるようになっているんですけれど、特に専門学校時代は、ずーっと音楽の事ばっかり考えてましたね。先生から教えてもらったことをひたすら反復練習するっていう。
超真面目ですね。
超真面目なんですけど、すごい遅刻魔でした(笑)
あ、今もよく遅刻しています。
超真面目な学生だったので、毎日学校には行くんですよ。授業がないときもスタジオにこもって練習してたんですけど、どうしても一限の授業には出られなくて、超優等生なのに、朝の一時間目だけは単位を落としていました。
毎日行ってるのに!!
毎日行ってるのに、ずっと学校にいるのに、ずっと補講がある(笑)
補講受けてない人よりも、授業内容理解しているんですけどね。
コバソロさんって、朝が弱いんですか?
ううん。起きるのは苦じゃないんですけれど、出発するまでギリギリまで何かしてたいんです。移動時間をすっごいギリギリで想定しちゃうんですよ。
なので、朝出発前のやる事リストをすっごい詰め込んで、出発が7時なら、本当に7時までそれをやってしまって、5分くらいの遅刻になるんです。これは、大人になっても治ってないですね。
幸せになれる結婚をしたい
コバソロさんの音楽活動はどのように始まったんですか?
音楽専門学校に入学すると、自然と仲間のような存在ができます。
ただ、どうしてもその仲間の輪の中に入り切りたくない、入り切れないところがあったんです。仲が悪いわけではないんですが、仲間の輪とは別のところに自分の本心を置いておきたくて。
そんなことをやっているうちにオーディションがあり、東京行きが決まりました。東京に出てからもそういう輪の中に入りたいような入りたくないような、曖昧な感覚がありました。
「輪に入り切らない」というのは、どういうことでしょうか?
例えば音楽の場合、「アコースティック畑」「ロックバンド畑」「女性シンガーソングライター畑」「アイドル畑」とか、様々なライブシーンがあるんです。
その中で僕自身に合っているのはきっと「男性シンガーソングライターアコースティック畑」なんだろうなって思っていました。最初はなかなかその「畑」に入っていけず、ただ外から見ているだけだったんですが、次第にその中に入れるようになっていきました。
それなりに活動はできていたんですよね。
オーディションに合格して、上京が決まって、「それなり」に活動ができるって、最初にしては上出来だと思うのですが…。
でも、入った瞬間に「ここから出たい」って思ってしまったんです。
「男性シンガーソングライターアコースティック畑」には、うまく言葉では表せませんが「色」があって、全員がその色に染まって足並みを揃えてやっていかなければならないという暗黙のルールのようなものを僕は感じてしまってました。
でも、本来はただの個の集まりじゃないですか。同じ色になるわけがないんですよ。僕はそれがどうしても「違うんじゃない?みんなそれぞれの人生があるんじゃない?」って思えてしまって。
活動しながらも、ずっと違和感があったんですね。
25歳まで「Little Turtles(リトルタートルズ)」というデュオグループを組んで活動していました。相方のことも考えると自分勝手なことはできないし、「男性シンガーソングライターアコースティック畑」から次の世界へ踏み出すことに二の足を踏んでいました。
解散が決まったあとも、ソロで活動を続けていました。
だけどずっとこの「畑」にいたら、フラストレーションを抱えたままになってしまいます。だから一歩踏み出し、26歳でYouTubeの方に転向したんです。
踏み出した先がYouTubeだったのはなぜだったんでしょう?
ソロ活動をしている一年の間に、たくさんの出会いがありました。その中の一つの出会いが、Goose House(グースハウス)というグループの方たちで、彼らからYouTubeの話を聞いていたんです。
彼らは全員がシンガーソングライターで、カメラを一台置いて、生演奏をYoutTubeで届けていました。
いろんな楽器も使いながら、いろんなアーティストの歌をカバーし、キレイなハーモニーを奏でているグループですよね。
「ああ、YouTube、動画投稿というものがあるのか」と知り、動画投稿についてなんとなく調べていたら、海外のYouTube音楽動画はプロのMVみたいに作り込まれていることを知りました。今でこそ、本家のMVみたいなカバー動画は多く見られますが、当時の日本にはほとんどなくて。
これを日本でやったら、大きな反響があるんじゃないかという目論見と、どれだけ続けられるか・何が必要か・自分に何ができるかを考えたところ、YouTubeは自分の目的と合っていると思って、YouTubeを始めました。
「自分の目的に合っていた」というのは具体的にどういう意味でしょうか?
色々あるんですけど、いちばん大きい目的は結婚でした。
結婚が目的、というと?
いつこの話をしていいか迷いはあったけどもうそろそろ大丈夫ですかね。
「男性シンガーソングライター」というのは、一般的に女性のファンの方が多いですよね。そして、ファンの方の中には疑似恋愛の対象にされる方も多かれ少なかれいると思うんです。
もしそんな状況で結婚すれば、確実にファンは減るだろうし、自分の仕事に少なからず影響が出ます。
幸せになろうと思って結婚するのに、結婚することが大きくネガティブに捉えられかねない状況というのが僕は好きじゃないなと思いまして、結婚相手をわざわざ苦境へひきづり込んでしまうんじゃないかと考えてしまったんです。
じゃあどうしたらいいかって考えたら、「ちょっと一歩引いて裏に回ろう」という答えにたどり着いたんです。はじめはYouTubeで自分が歌っていましたが、徐々に他のアーティストさんたちをメインに据えて配信するようにしました。自分に何が起こってもファンが減らない状況にしたくてYouTubeを始めたんです。
なるほど…。私も福山雅治さんが結婚されて、マシャロスになりました。勝手ですけど「私の雅治を取られた!」っていう感覚になりました(笑)
言われてみれば確かにそうですが、YouTuberになって、自分以外をプロデュースするっていう気づき、なかなかできないと思います。
いやいや、結構みんな気づくんじゃないですかね。
結婚と音楽っていう悩みはミュージシャンあるあるみたいな感じなので。
ファンがつくこと自体は、承認欲求も満たされるし、気持ちのよいことのように思えるのですが、コバソロさんにとってはそうではなかったんでしょうか。
確かに気持ちのよいことかもしれませんが、それと同時に僕は常に嘘をついてたんですよ。
僕は売れていたわけではなかったのでファンの方と話す機会はライブの度にたくさんあったんです。
その中で、例えば「彼女いるんですか」なんて質問はよく受けるわけです。でも、そういうのってだいたい隠してしまうじゃないですか。
そんな嘘がベースにある状態の活動が僕には少し息苦しくも感じてしまってたんです。
なるほどなあ。
YouTubeの距離感はコバソロさんにぴったりだし、「シンガーソングライター」としての結婚は歓迎されないけれど、YouTuberとしての結婚は、お祝いの対象になるわけだ。
はい。「結婚」をマイナスではなくプラスに持っていきたかったんですよ。
そのためにさらに進めていったのが女性アーティストの方とのコラボです。単純な考えですけど、男性の方は僕が結婚したところでネガティブな感情はまずほとんど感じないじゃないですか。
なので僕のYouTubeチャンネルの男性ファン層を拡大させたかったんです。
そのために女性アーティストの方とのコラボを積極的に行いました。
そしてコバソロのチャンネルを通して女性アーティストのファンになった方にとっても、裏方の僕は既婚者なので独身プロデューサーであるよりも安心感はかなり出てくるんじゃないかと。
なるほど!非常にわかりやすい論理です。
YouTuberになったキッカケが「結婚」だったと教えてくれたコバソロさん。
後編では、これからの展望について聞いた。