をかしのカンヅメ Vol.17
公開日:2023_11_16

「日本料理 山崎」の原点|料理人・山崎浩治

Guest:山崎浩治 / Text:中﨑史菜

◎世界中の人に自分の料理を食べてもらうために

ーーそして今年2023年、富山の店を一旦畳んで、東京に進出されました。いつ頃から東京に店を出そうと考えておられたんでしょうか。

2年ほど前からですね。24年間、「富山県をよくしよう」と本気でやってきました。ミシュランで三ツ星をもらった前年に北陸新幹線が開通したけれど、何もしなければ関東の人は富山を通り過ぎて金沢に行ってしまう。だから、「都会の料理人ですらできないことをやろう」と本気で思って料理を作ってきたわけです。そして、関東の人だけでなく、海外の人に富山まで足を運んでもらって、食べてもらうのが自分の夢でした。でも、自分には料理以外のノウハウが何もない。海外に精通しているような人と知り合いでもない。そうやって悩んでいた時に、周りからの声に後押しされて東京出店を決めたのです。自分の店に、海外の人が訪れ、食べてもらうこと。それを目標にしたわけです。

ただ、東京に出店するとなると、富山に高齢の母をおいていくことになるし、自分だけでなく、家族やスタッフの人生も変えることになる。東京進出は、自分にとって「楽しくなくて当たり前」だと言い聞かせています。東京に出店することで多くの苦しみを味わうだろう、けれど、それは僕が経験する当然の苦しみだと。それだけの覚悟を持って臨まないと、母にも申し訳ない、いろんな人に申し訳ない、と思っています。

ただ、この苦しみを味わうのは自分だけでいいんです。今、一番若い弟子と一緒に店で寝泊りしているんですが、それも当然のこと。ましてや、自分が世界で知名度を上げたいと思っているのであれば、並大抵の努力じゃダメ。今は、どんな努力をすべきだろうか、と模索しているところです。何も考えずに素振りを何百回やっても、プロ野球選手にはなれないでしょう。

息子にいろんな若い人を紹介してもらったりお客さんとお話ししたりする中で、世界で認められる店になるためのチャンスが目の前にあると思ったら、まずはやってみることにしています。

©︎Akira Hatakeyama

ーー東京には富山よりもたくさん人もいて、海外の方に見つけていただくチャンスは多くなるのだろうと思います。ただ同時に、ライバル店も多いですよね。

ここまできたら、他所の店は関係ないですね。大切なのは、目の前の料理一つひとつに神経を行き渡らせること。それに尽きます。

ーーなるほど。東京に進出されて、食材の仕入れ先も変わられたと思います。どのように、良い食材を仕入れておられるのですか。人脈なども大切になると思うのですが。

僕は、いい食材を求めることも大事だけれど、結局は気の張り方、真剣に作ることの方が大切だと思っているんです。食材がいいからといって腑抜けの料理を作っていたら、お客さんにも伝わるはず。「どこどこの〇〇です!」と調理もせずにそのまま出すのは、料理ではないと思います。

尊敬するイタリアンのシェフが、料理とは何かと聞かれて「水分を飛ばすこと」だと答えていました。漬物、揚げ物、蒸し物、焼き物、全てに共通するのは水分を飛ばすことだと。これは人間しかできないことですよね。切るだけのものは料理ではない。この言葉を聞いて、確かにそうだな、と感じたんです。

◎弟子たち、子どもたちに伝えていること

ーーご次男とご三男は、料理の道に進まれたそうですね。どんなふうに声かけされているんですか。

これまで「一生懸命やりなさい」「いい”食”を作れ」といろいろ言ってきたけれど、最近は「これからこの店がどうなるか」とだけ言っています。この店がどうなるかで、今まで俺がお前たちに伝えてきたことが本当だったかが試される。一生懸命やってどうなるかは、見ていればわかる、と。

ーー息子さんだけでなく、若い人たちも指導してこられましたよね。指導する上で、どんなことを大切になさっていますか。

「自分で気づけよ」と言っています。僕がいくら言っても、相手にその気がなかったら絶対に指導はうまくいかないし、教えたところで意味がない。野球を習いたい子に無理やりサッカーを習わせるようなものです。

そして、味付けがどうのこうのと指摘するより、「部屋を掃除しとけよ」ということが多いですね。プライベートでの性格は、全部調理場で出てしまうから。どれだけ魚を下ろすのが上手くなっても、だらしない性格だったら育たない。お前たちがまだ仕事ができないのはわかっていて採用している。できるようになるために指導しているんだから、できないことは気にするな、と。

そして、どこの店よりも楽しい職場だって思われたい。楽しい職場、いい職場、来てよかったなと思ってもらえる店にしていきたいんですよ。

最近危惧しているのは、「料理人」という仕事の不人気さ。今、子どもたちに将来の夢を聞いたら「YouTuber」「ゲーマー」なんて答えが返ってくるでしょ?楽しいことが一番で、「一生懸命やる」ことがあまり人気でなくなってきている。ただでさえ子どもが少なくなってきているのに…。

僕が料理の道に進んだ頃は、料理人になれば、食事もついてくるし、給料ももらえるし、仕事も覚えられる、と言われていました。バブルが弾けて、リーマンショックも経験し、コロナ禍でも飲食店が大打撃を受けましたよね。接待の文化もなくなってきました。飲食店がダメになると、仕入れている八百屋さん、魚屋さんなんかも一緒にダメになってしまう。そういうのを見て、料理人を夢見る子が少なくなっているんでしょうね。もっと多くの子どもたちに料理人という一生懸命に働く仕事を夢見てもらえるようにしたい。このままじゃダメだ、自分には何ができるんだろうか、と考えています。

◎「人を喜ばせる」仕事

ーー最後に、山崎さんの「お仕事はなんですか」と聞かれたら、なんと答えますか。

海外での知名度をあげたいとか海外のお客さんを呼びたいとか、若い料理人に少しでも多く給料をあげたいとか、定休日を1日でも増やしてやりたいとか、バイトの時給も上げたいとか…。それがちゃんとできたら、富山の店を再稼働して、海外の人にうちの料理を食べてもらった後に富山の海や山を案内したいな、とか、いろんな気持ちはあるんだけど、自分が忘れたらダメなことは、もっと根本にあるんですよね。

以前、富山のお店に、90歳くらいのおばあちゃんとその娘さんが来られたんです。そのおばあちゃんが料理を完食されて、娘さんは「今日はお母さんよく食べるね」と嬉しそうにされていたんです。数ヶ月後、また娘さんが来られて「先日、母が亡くなったんです。最期に母を山崎さんに連れてくることができてよかった。」と言われました。この話を聞いた時、料理人にとって一番大切なことは人を喜ばせることだと痛感したんです。自分がどんな賞をとったとしても、どんなに有名になったとしても、人を喜ばせるために料理を作ることこそが一番大切だと。

もちろん、商売だから利益を出さないといけないけれど、この基本を絶対に忘れてはいけない。忘れていい格好ばかりしていたら、死ぬ時に絶対後悔すると思っています。だから、僕の仕事は人を喜ばせることですね。

ーーずっと、死ぬまでこの調理場に立っていたい、と思われますか。

立っていたい、ではなく、この調理場で立ったまま死ぬことは覚悟の上。これも、口で言うのは簡単なことだけれどね。もしかしたら、そこの調理場でコロッと死ぬようなことがあったとしても、それが僕にとっての正解。逆に口先だけの人間じゃなくてよかったと思えるかな。

ーーその一言でぐっときてしまいました。本日は心のこもったお料理、おもてなし、そしてお仕事後にもかかわらずたっぷりとお話を聞かせてくださりありがとうございました。

ありがとうございました。


山崎浩治さんは、ベテランとしてのどっしりとした強さと、まだ料理を学び始めたばかりのような真っ白さを併せ持った不思議な人だった。自分の納得のいく料理以外は出さないという自信を感じさせつつも、そこにおごりは全く感じられない。常に、周りから何かを学び、生かし、自分という人間を作っていきたい、と思っているようだった。世界中に「日本料理 山崎」の名を轟かせてほしい。そして、大切な日に、大切な人と、もう一度山崎さんの料理を食べたい。そんな風に思ったインタビューだった。

山崎浩治(やまざき・こうじ)
1967年富山県富山市出身。中学卒業後、富山、東京、そして大阪「かが万」での修行を経て、平成10年10月22日に富山市に「日本料理 山崎」をオープン。2016年、「ミシュランガイド富山・石川(金沢) 2016 特別版」で三つ星を獲得。2023年8月、富山から東京京橋に店を移転オープン。

お店情報
日本料理 山崎 京橋
住所:〒104-0031 東京都中央区京橋2-6-7
電話番号:非公開
公式HP:https://www.yamazaki-toyama.co.jp/
店休日:土・日
<カウンター席:8席>
17時〜または20時半〜
貸切可
<はなれ 特別個室 6名席>
1日1組様限定
ご予約時間自由


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