をかしのカンヅメ Vol.1
公開日:2019_05_25

作曲家→お笑い芸人→経営者。
「他人が決めた道」を突き進む福岡の天才|樋口聖典

Guest:樋口聖典さん / Text:中﨑史菜

「地方を盛り上げるためには、尖ってる部分がないとダメだ」

「いいかねPalette」内にある地図

樋口さんは田川で生まれ、福岡に出て、東京へ行き、また田川に戻って来られましたよね。
初めて都会へ出た時のことを教えてください。

シンプルに楽しかったっすね。

こういう人に出会いたいな、と思った時に出会い方の選択肢がいっぱいある。

こういうものが欲しいな、と思った時にすぐに手に入る。

いろんな意味で選択肢の幅が広がったと思います。

僕は、全ての日本人は一度は東京に住んでみた方がいいと思ってるんです。

ほお。それはどうして?

田川で「地方創生事業」と銘打って活動しながらこんなことを言うのはあれなんですが、一回東京に行って、東京という戦場を見た方がいいと思います。

その上で、そのまま東京に残るのか、去るのかを選択すればいい。

まず前提として、超一流テレビタレントとか超一流ミュージシャンのように東京でしかできない仕事ってあると思います。

でも東京じゃなくてもできる仕事を、あえて東京でしている人っていますよね。

それは「やりたいことを見つけられていないから」なんじゃないかと思うんです。

東京ってずっと刺激があるから、「まだ何かあるんじゃないか」って可能性をずっと感じ続け、探し続けられる。

「こういう世界でこういう立場でこれをやっていきたい」って明確に決まってる人は、それが東京以外でもできることであれば東京にいなくてもよくなるんですよ。

でもほとんどの人って未知なる可能性への執着を捨てることができずに、あるかどうかわからない夢を東京に見てる

それに相当なコストを払ってるんです。家賃の高さだけじゃなくて、満員電車乗らないと通勤できないとか、保育所入りづらいとか、精神的なコストも含めて。

僕はそれが日本全体にとってあまり良いことだとは思わないので、東京にいる必要がない人はとっとと出たら良いと思ってます。

僕が田川に帰ってきたのも、田舎でもやっていけるぞということを体現したかったから、というのが理由のひとつです。

逆に言えば、東京でしかできないことをやるために東京へ戻ることもあり得るということですね。

はい。僕がやりたいことの中で東京でしかできないこともあるんですよ。

僕がもし東京に戻るとしたら、それまでに東京がもっと住みやすくなっていてほしいから、東京の人を減らしたい。笑

確かに、東京って人が少なければかなり便利で住みやすい環境ですよね。笑
音楽制作の現場から距離をおき、音楽を軸にした「場作り」を進めておられる樋口さんですが、地方に人が集まる状況はどう作ればいいと考えていますか?

地方に人を多く集めること自体が目的になってしまうのは違うと思っています。地方を何かに特化した「尖った場所」にしていくことを目的にすべきです。

僕は「東京と地方」は「テレビとインターネット」の関係と同じだと思っています。

テレビはかつて、ほぼ唯一のエンターテイメントマスメディアでした。これが東京一極集中のイメージです。

インターネットができたことで、それが細分化できたんです。これが地方のイメージ。

せっかく細分化できたんだから、人数を集めることに意味はないでしょ?

例えばコスプレのようなニッチな市場や過激なユーチューバーはテレビには向いていません。

でもインターネットによって世界が多様化して細分化されたので、マイノリティ同士が集まって一個の世界が作れるようになったと思うんです。

それが、東京と地方の関係性にそのまま当てはまります。

例えば、音楽を作るには福岡県田川市。

陶器を作るんだったら〜〜県の**市。

プラモデルを作るなら%%県の××町。

それぞれの地方が特化することで、そこに行ったらその世界にどっぷり浸れる状況を作れるんじゃないかと思うんです。

今はほとんどのジャンルが東京に集中しているけれど、地方に「自分の好きなジャンル」に特化した世界があれば、時間をかけてでも移動してくる人がきっといます。

分業制ってことですか?それぞれの地域が専門性を極めるということでしょうか?

うーん。編集の仕方を変えるって言った方がいいかな。

「首都圏」「九州」みたいに地域ごとにフォルダ分けするのではなく、タグ付けするイメージです。

例えば僕には「経営者」「音楽」「お笑い」「地方創生」の4つのタグがあります。「経営者」のタグを検索すると日本中から「経営者」のタグを持った人が一気に集まる社会になりつつあると思うんですよ。

インターネットを使うことで「場所」に囚われずに「同じタグを持った人」=「同じ好きを持った人」が集えるということですね。

実は今、福岡にいる僕と東京にいるメンバーで毎月、北九州のコミュニティFMのラジオ番組をやっているんですよ。会話はネット電話を介してやるんですが、お互いのスタジオで別々に収録した音声を編集時に合わせると、理論的には同じスタジオで収録する場合と同じ音質になる。まるで同じスタジオで収録しているみたいに聞こえるんですよね。

こんな風に、インターネットのおかげで今まで「地域」というフォルダ分けのせいでできなかった活動ができるようになるんです。

一昔前までは、福岡県のアニメ好きたちは福岡だけで集まってたと思うんですけど、今は全国のアニメ好きが場所にとらわれずにインターネット上に集うことができます。

そうすると「東京じゃなくてもアニメの情報は得られるし、日本中のアニメ好きと交流できるから、もっと住みやすい場所へ引っ越そう」って地方へ人が分散していくと思うんですよ。

すべてリモートで完結してしまうってことですか?

うーん、矛盾に聞こえるかもしれないけれど、そういう意味ではありません。

好きなものが一緒の人たちは、ネット上だけでなくリアルに集まった方が間違いなく面白い。

アニメ好きはアニメ好きで特定の地域に集まって、飲み会した方が絶対に楽しいんです。

例えば中崎さんとこうやって深い話をする場合は同じ空間で話した方がいい。

だから全ての活動がリモートで完結できると思っているわけではないです。

でも、大事なところ以外は全部ネット経由でいい。

商品はAmazonで買えるし、仲良い友達とはFacebookで繋がってればいい。

そして地方に住んでアニメの話だけしてればいい。

「場所にはこだわらない」という話と、「それぞれの場所が特性を持つ」という話が出ています。
それは場所にこだわらないからこそ、今東京に集まっているものを分散させたらいい、という意味でしょうか?

そうですそうです。地方に分散させることでそれぞれの地域が尖ってくれば、自然と人が集まるんじゃないかということですね。

地方を盛り上げるためには、尖ってる部分がないとダメだと思ってます。

多くの人にとって田舎に意味を感じるのは「親族がいるから」とか「ふるさとだから」ですよね?僕も田川が好きで、愛しているから田川で生きています。

でも、田川の人間が全て入れ替わったら、ここは「田川」なんでしょうか。

例えば中崎さんが広島カープのファンだとして、カープの選手と巨人の選手が全部入れ替わったらどっちを応援しますか?

場所なのか、人なのか、自然なのか、空気なのか・・・「土地」って何なんでしょうね。

そう考えると、「田川であること」自体が別にどうでもいいな、という視点もある。

だからこそ、その存在価値を見い出すために尖る必要がある。

それでも今、樋口さんが田川にいる理由はなんですか?

知り合いがいっぱいいるし、こうやって活動する環境があるし・・・それくらいの理由しかないような・・・。

「ここがふるさとだ」という意識やパワーは強いけれど、田川で仕事をすること自体にこだわってるわけではないんです。

過疎化で田川が滅びたとしても「そうか、滅びたか」って思うでしょうね。もちろん、今はそうならないために頑張ってるんで、感情的にはキツいですけど。

全国のほとんどの地域が人口減少に悩み、人口を増やそうと必死ですよね。
それについてはどう思いますか?

絶滅危惧種の生物っているじゃないですか。

限界都市が潰れるっていうじゃないですか。

どちらも「何が悪いんだっけ?」って思うんです。

絶滅危惧種の生物たちは、人間が統治する地球上にマッチしていないんだから当然滅びていくでしょ。

「地域を盛り上げよう!」なんて表現を安易に使っちゃうんですけど、それって不自然だと思いませんか?

絶滅危惧種も限界都市も自然淘汰されていくんです。細胞が生まれて死んでいくのと同じです。

でも、こんな風に言っておきながら、自分の中に反対意見もあるんですよ。

全ての人間の活動は波のようなもので、常にバランスを取ろうとする動きがあるんです。

波としてこの現象を捉えると、人口が減っていくんだったら、当然増やそうとする動きもある。

だから「絶滅するものを止めたい」っていう欲求を持つ人がいても、それはそれで自然なことだと思うんです。

自然に抗おうとする行為そのものが、自然だとも言える、ということですね。

「波」だと表現しましたが、振り子のようなものをイメージしても良いです。僕の中ではその二つはほぼ一緒なので。

社会は「多様性」と「一本化」の間で振り子が行ったり来たりしています。

日本の戦国時代って価値観の多様化の時代ですよね。

それを徳川が統一して、一本化されて。

廃藩置県でまた多様化して。

戦争が始まった時に軍事国家になって一本化して。

そして最近は「地方創生」がバズワードになり多様化のフェーズにいますよね。

これってずっと繰り返してるような気がしてるんです。

だから今の「地方創生」ブームは単なる流れであって、人間社会の絶対的真理として正しいとは思いません。またいつか一本化の流れがきます。

波や振り子以外に、普段樋口さんがどんな世界の捉え方をされているか教えてください。

「フラクタル」という幾何学的な見方もしています。

木って幹から枝分かれしてるじゃないですか。さらにその枝から更に枝分かれしてますよね。

木全体を見てもY字、細い枝を見てもY字。ズームアウトしてもズームインしても同じ形してるじゃないですか。

他にもリアス式海岸とか、カタツムリの殻のぐるぐるも同じフラクタル構造です。

さっき「人間の細胞が生まれて死んでいくんだから、生物種も生まれて死んでいくに違いない」と話したのも、フラクタル的な捉え方です。人間の細胞にズームインして、生物的な種全体にズームアウトする。

こんな風に、縮尺とかモードをその都度変えて世界全体を見ていますね

樋口さんの世界の見方

身近で起きていることも、宇宙で起きていることも同じ感覚で捉えておられるんですね。

それを元に予測もします。

振り子は次の動きを予測できるじゃないですか。

物理現象とか自然現象とか歴史上の出来事はすべて、形を変えていろんな規模で連続的に行われてることだと思うんです。

友達の歴史研究家が言っていたんですが、滅んだ中国王朝の首脳会議における意思決定方法と、日本で潰れていく会社で行われている意思決定方法って同じらしいんですよ。

人間の心の構造とか集団のあり方って時代を経てもそれほど変わらないから、違う人間が、違う立場で違う服を着て、ずっと同じことを行ってるだけ。

僕がやっていることは、世の中のビックデータの中から、公式を作っては検証を繰り返して、精度を高める作業だと言えます。

樋口さんご自身の人生も、そんな風に観察しておられるんですか?

もちろん。もっと言えば、自分は一番の実験材料だと思っています。

僕からしたら、全ての人間は真理を理解するための実験材料・モルモットなんです。

そして一番情報量が多くて、唯一感情や思考まで吸い上げることができる個体は自分というモルモットだけでしょ?

「自分自身の身体を使った実験」という感覚は、小さい時からあったんですか?

死にかけて、この世に戻ってきてからですね。

人生を俯瞰するような、1レイヤーぶんメタな視点が加わりました。。

これ、腕を切り落としたらどんな感情になるんだろうって思ったら、切り落とす可能性があるからたまに本当に危ないんですよ。

理路整然として非常にわかりやすいお話ではあるのですが・・・

「何言ってんだ、こいつ」って思ってるでしょ。笑

「地方を盛り上げたいんすよ!それには人と人とが繋がるエネルギーが大事で!」とかいう話をした方がよかったですかね?笑

でも、地方に人がいなくなってもしょうがないし、潰れたとしても、「そういうものだ」と思ってるからなあ・・・。

それでもあえて「地方創生事業」に乗っかり、田川でやってきたこと・やろうとしていることは何ですか?

まず、会社としてはまだやりたいことを全然やれてない状況なので、「これをやりました」と胸を張って言えることは正直ないっす。

これからやりたいと思っているのは「田舎でもやりたいことがやれるんだ」っていう雰囲気づくり。

都会じゃないとできないと思い込んでいることでも、意外と田舎でできることに気づいて欲しいんです。

例えば、音楽を作って世の中に発信して認められることって、頑張れば田川でもできるし、子供でもできるし、サラリーマンしながら土日だけでもできるし、お年寄りでもできるんすよ。

音楽を作ったことのない人は、音楽を作るのって魔法みたいなことで、自分にはその魔法がないからできないって思い込んでる。

でも実はパソコン使ったり、適切なやり方をすればどんな人でも絶対できるんですよ。

そういう人たちって、自分が観客席のように安全なところから舞台上で戦ってる人(=音楽を作っている人)を見てるんです。

こないだ、中学生が職場体験でうちにきたんですよ。

「いいかねPalette」では宿泊事業もやっているので、サービス業を体験するために宿泊客とコミュニケーションをとりたいっていうモチベーションで来た子が多かったんですけど、「そんなことしません。今からいいかねPaletteのコマーシャル映像を作ってもらいます」って言って。

みんな最初は「え?動画とか撮ったことないです」とか「お母さんのiPhoneでたまに撮るけど、編集とかしたことないし」って言うんだよね。

2日間で企画会議やって、絵コンテ切って、撮影して、録音して、編集までしてYouTubeにあげたんです。

そしたら「今までこんなことやれると思ってなかったけど、やってみたらできた!」ってステージが一個上がるんですよ。

職場体験後、中学生たちがテレビで流れるCMをみて、「よく聴くと音はこうなってるんだ」「カット割りって結構多いんだな」ってCMを作る側の視点に立って見れるようになったという話をしてくれました。

これってその子達を「舞台に上げた」と言えると思うんですよね。

舞台に上げてあげる場所、それが「いいかねPalette」なんですね。

他にも「カラオケレコーディング体験プラン」をやってます。

おじいちゃんおばあちゃんで演歌を歌うのが好きな人がここにきて、プロ仕様のスタジオでカラオケをレコーディングするっていう。

音楽を聴く側だったり、せいぜいカラオケボックスで歌ってた人が、CDを作る側を体験することで一気に「カラオケ好き」から「歌手」になれるんです。

いいかねPaletteは「なんでもできる世界をつくる」っていうコンセプトでやっていて、「あんなこといいな、できたらいいな」っていうドラえもんの世界を作ろうとしています。

ドラえもんって、のび太が輝くための環境なんです。

そんな風に、人がやりたいと思うことをいいかねPaletteが叶えてあげれればいいなって。
子供の心をもう一回呼び覚まして、それに正直になってもらう環境を提供したい。

大人になるにつれて「やりたい」と「やる」が直結しなくなって、いろんなことをやらなくなるんです。
体力がない、時間がない、実力がない、あとは失敗が怖い、とかそんな理由で。

いいかねPalette内の「どこでもドア」

「やりたいけど・・・」ってやつですね。

そうです。「けど」ってめっちゃ使うんですよね。

だいたいの人が「そんな簡単にいかないよ」「家庭があるしさ」とか言うんですよ。

やりたいことやりながら食わせていく覚悟すれば食っていけるわ!って思います。

樋口さんの仕事は何ですか?

職業を聞かれたら「経営者」とか「作曲家」って答えると思うんですが、樋口さんの仕事は何ですか?

うわーむっずい。ちょっと待ってもらっていいですか?

・・・「真理を見つけて人々に伝えていく屋さん」ですかね。

おおお、樋口さんが得意な物理法則から真理を見つけていく、と。

「人間ってなんなのか」を考えてる時に物理法則を使うのが一番便利なので使ってるんですよ。

さっき言ったように、お金も、体験も、人とのコミュニケーションも、全てのことが僕にとっては本質を見るための材料。

でも「真理を見つける屋さん」じゃなくて、「人々に伝えていく屋さん」なんですね。

見つけたものを抱えて死んでいくのは嫌なんで、シェアしたいんです。

しかも、しっかり言葉にして伝えていきたいんですよ。

なんでこんなに伝えたいんだろう、って数年前に疑問に思ってたどり着いた理由が「僕の名前が聖典(きよのり)だから」。

つまり聖典(せいてん)なんですよ。聖典には聖書って意味があります。

昔、父親に「聖書だなんて、よくこんな仰々しい名前つけたね。うち浄土真宗なのに」って聞いたんです。笑

そしたら「ああ、そういう意味もあるらしいな。そんなの知らずに、字面がいいからつけた」って人ごとのように言われて、これも運命だなって思いました。

名は体を表すというように、聖典と名付けられたから「人に伝えたい」「シェアしたい」って思うんだろうな。

僕は、自分で何かを悟ったり、悟った人の話を聞いて、そうか世の中はこうなってるんだって論理的に理解して、それを広めたいと思っているので生きる形がまさに聖書なんですよね。

そう考えると、皆さん意外と名前の通りに生きてるんですよ。

中崎さんの名前ってなんでしたっけ?

史菜(ふみな)です。
小説「太陽の子」の主人公が「ふーちゃん」っていうんですけど、その響きが好きで、「ふーちゃん」と呼べる名前をつけてくれたみたいです。

音から来てるんですね。きっと名付け親の感覚を超えたところに深い意味があるはずなんです。

歴史の史なのか、菜は大自然を意味するのか・・・そこはわからないですけど、「こうだ!」って思う瞬間がくるはずです。

高校の時に歴史の成績が悪すぎて、日本史の先生に「名前に『史』が入ってんのになんだこの成績は!」って爆ギレされた記憶はあるんですけど。笑

でも、史って「記す」って意味があるから、ライターの仕事とも繋がってますよね。菜は「植物」だから田舎にいって何かを見つけようとしてる、とか。

藤子・F・不二雄は出来すぎるやつに「出木杉くん」て名付けたじゃないですか。

僕らが物語を作るとしたら、突拍子もない名前をつけるはずがなくて、名前はこだわるはずなんですよ。

この世界は神様的ななにかが作ってるんだから、物事の名前に意味がないわけがないと思うんです。

「真理を見つけて人々に伝えていく屋さん」を簡潔にいうと、「聖典(せいてん)です!」ってことですね。笑

そういうこと。でもやっぱり「真理を見つけて人々に伝えていく屋さん」は長いなあ。

・・・「四次元アナライザー」にしといてください!!

おおお!ドラえもん要素を入れつつまとまった!笑
今日は本当にありがとうございました。

いいんですか?こんなふざけた感じで。笑

ありがとうございました。


天才に「人生の道をまっすぐ歩く方法」を聞きに言ったら、曲がりくねってアップダウンも激しい道を案内されて、ついていくのに必死だった3時間。

「好きなことで生きていくべき」とか「あなたのミッションは何?」とか「それでマネタイズできるの?」とか、そんな言葉で溢れた社会で「全部実験だよ」と言ってしまえる気楽さと、やりたいことすらやらない自分を正当化するための言い訳が許されない厳しさが、今でもぐるぐると私の心を巡っている。

樋口聖典(ひぐち・きよのり)
1981年8月20日福岡県田川郡川崎町生まれ。
株式会社オフィス樋口 元代表取締役会長。
株式会社BOOK代表取締役。
元よしもとクリエイティブ・エイジェンシー所属 お笑いコンビ「ギチ」。
ロックバンド「どぶろっかーず」ギター。
上位2%のIQをもつ知能集団「JAPAN MENSA」会員。
2017年福岡県田川市で廃校を利活用した複合施設「いいかねPalette」をスタート。「音楽を中心とするコンテンツ産業の創出・集積」を目指す。

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