「自分本位」から「チームのために」
4年生の時に、ラクロス部でキャプテンになったのはどうして?
立候補して、同期の承認を得て選ばれたよ。
キャプテンになりたいと思ってたんだ?
うん。「キャプテンはラクロスが圧倒的に上手いやつがやらないといけない」と思ってたから。それが俺(笑)
でも俺は、1年生から1軍に選ばれていたから同期と絡むこともほとんどなかったし、尖ってたから人望はなかった。学年でのミーティングも「時間の無駄。練習しようぜ」なんて思ってたから信頼されてなかったんだよね。
そのスタンスは、キャプテンに選ばれて変わった?
それまでの目的は「自分がうまくなること」。その手段が「すごい練習すること」だったけど、それからは目的が「慶應ラクロスを勝たせること」でその手段が「自分が最もうまくあること」になった。つまり、目的と手段が入れ替わったんだよね。
そうやって目的が変わると、やるべきことが大幅に変わってくる。自分が必死に練習することは前提で、その上で「とにかくみんなのことをみる」っていうのは意識してたな。キャプテンだった1年間は、ものすごく頭を使った。
役職が安藤圭祐を作ったんだね。
キャプテンは人生初だったからね。高校生の時なんか、チームメイトに「死ね〜!」とかいいながらプレーしてたから、選ばれるはずないよ(笑)
キャプテンになった時、部員が130人くらいいたから、ほとんどの選手が試合に出られない状態。でも、そこで腐らずに部員全員がラクロスに向き合えることが何よりも大事だと思ったの。
だから、試合に出る10人だけが頑張って日本一とるのと、130人まとまってるけど予選敗退だったら、俺は後者をとるつもりだった。4年間、試合に出られなくてもこの部に所属してよかったと思えるチームであるべきだと考えてたんだよね。
でも、それは「ラクロスをワイワイ楽しもう!」っていう意味じゃない。部員満足度を高めるためには勝利しかないから、「勝利を追求する」のは当然のことだからね。
結果はどうだった?
残念ながら全日本選手権では2位だったけれど、全日本学生選手権と、関東学生選手権では優勝できたよ。
就活の失敗
さて、就活で2社とも落ちてしまった時の話を深掘りしようと思います。
自信満々だったから心がポキっと折れたよね。そして、その現実から逃げるために「就職浪人」して、あたかも戦略的撤退をしたんだと周囲に見せようとした。そうでもしないと、プライドが保てなかったから。
でもそれを父親に伝えたら、人生で初めてブチギレされてさ。父親は本当に仕事に厳しい人で、こう言われたんだよね。
「企業に大小はあるけど、仕事に大小はねえんだ。今すぐ目の前のコンビニに履歴書出してこい!どこでもいいから、職を見つけて4年で卒業しろ!!」って。
ものすごく真っ当な意見だよね。父親が休みなく働いている姿も見てるし、その言葉がとても刺さってさ。たまたまエントリーだけ出していて、面接を受けることができる状態だったのが「リクルートキャリア」。父親にキレられてからの1週間は徹底的にリクルートのことを調べて、1週間後に内定をいただいたというわけです。
リクルートの採用面接はどんな感じだったの?
リクルートは仕事内容よりも「お前はどんな人間か?」を問われる面接だったから、自分にはぴったりだったんだと思う。
営業のトップと最終面接したんだけど、その面接で「ここで頑張ろう」と思ったんだ。
どんな面接だったの?
自分の人生について話したときに、面接官にものすごく理解してもらったという感覚があったんだよね。たったの15分で、親友よりも俺についてわかってくれた感じ。
そのあと、面接官に「お前、うちの会社にくることに劣等感ありまくりだろ」って言われたの。「めちゃくちゃあります」って正直に答えた。
「お前が高校でラクロス始めた時、劣等感まみれっていってたよな?今はあるの?」って聞かれたから、「ないです。7年間毎日努力した自負があります」ってはっきり答えたんだよね。そしたら、「それならリクルートに来なさい。7年後、日本一になれるから」って。泣きながら「よろしくお願いします」って言ったわけ。
映画化できそうだね〜(笑)
実際リクルートに入ってみてどうだった?
リクルートには、あらゆる方向の持論を持ってるメンバーが揃ってた。面白かったよ。
1番のターニングポイントになったプロジェクトは、長野県塩尻市で地方創生型の学生インターンを企画した仕事。学生たちの真剣な姿を見て「俺はこんなふうに”本気”な人たちを増やしたいんだ」って気づいたからだな。
”本気”な人たちを増やすことにあんちゃんは喜びを感じるんだね。
うん。学生が全神経を集中して、周りの音が聞こえないくらいに本気になってるのを見て、結果はどうにしろ、何かに打ち込んでやる姿を作りたいと気づいた。
大学でラクロス部のキャプテンをやってた時も同じ。結果よりも、部員全員が本気になれるプロセスを作ることに一生懸命になれたのは、「本気が美しい」とずっと信じていたからだと思う。
あんちゃんは都会生まれ都会育ちだけど、塩尻という地方に関わって、地方についての考えは変わった?
塩尻には、塩尻を本気で変えたいと思っている若手経営者たちがたくさんいたの。しかも、「塩尻を盛り上げる」ではなくて、「長野県、ひいては甲信越地方にメリットがあることをやらないと、塩尻は変わらない」っていう視座の高さでやっているんだよね。「地方」に対する思いというよりは、自分の故郷ではないけれど、そこで生きる人たちの本気に俺も応えたいと思ったよ。
そんな”本気”に出会えたリクルートの仕事、なんで辞めたの?
社会人4年目でラクロスを辞めて、土日がポッカリと空いたんだよね。その頃から「将来ビジネスをやりたい」と思うようになって。そのためにいろんな人に会うようにしてたんだ。
その時に出会ったのが、今所属している会社のオーナー。初対面で、「面白いやつだな。3年間俺の鞄持ちしないか?」って言われて。
それで即決したの?
いや、結構悩んだよ。だって「鞄持ちって何?」って感じじゃん?(笑)
打診された時、俺は26歳。なんとなくリクルートにこのまま所属していたら将来どうなるかがイメージできたタイミングだった。
でも、鞄持ちという仕事は全く先がイメージできない。
「おみくじ」を引いて、それが大吉か大凶かはわからないけれど、大凶で3年間を棒に降ったとしても29歳。出直すこともできるだろうし、自分の力で大吉にしてやるくらいの気持ちで決断したの。
リクルートの上司や同期はその決断を応援してくれた?
最初はめちゃくちゃ引き止められたよ。「起業します!」ならわかりやすいけれど、「鞄持ちします!」って(笑)
でも、「成長の確度をグンとあげます!」って宣言して辞めた。
あんちゃんにとって「成長」って?
選択肢の幅が広がることかな。鞄持ちをすれば、いろんなことを経験できる。26歳からの3年間で選択肢が広がって、3年後に何をするか選択できたらいいと思ったの。
人の心に火をつける仕事を
今の会社に入ってからは、どんな仕事を?
飲食、事業開発、議員秘書…いろいろやったね。新規事業開発は提案しまくってるけど、残念ながらまだ形にはなってない。
もうそろそろ、3年間の修行の半分が終わるよね。これからのことはどう考えてる?
「人の本気を増やす」ことをし続けていきたい。
そのために、「自分で意思決定ができて、仲間がそれに賛同して同じ方向に向いている」状態を作りたい。ラクロス部のキャプテンだった1年間に体験したものを、ビジネスの場でやりたい。それには、自分で会社を作ることが必要だと今は感じてる。
そして、残り1年半を有益に使い倒したい。代表からいろんなことを学んで、吸収して、事業を一つやりぬき、この会社に対しても貢献したい。
あんちゃんが人生をかけてやりたい仕事は何かな?
「生き様を作る」ことかな。
もちろん、俺が人に対して「生き様作れ!」って言ってできるものではないとはわかってる。けれど、その人がその人の可能性を切り開くために、できる限りの機会を提供したい。
生き様って、どうやったらできるもの?
そうだなあ。毎日を本気で生きて、打ち込んで、それが轍になるイメージ。
でも、「なんとなく毎日を過ごしたい」と思っている人に”本気”を強制する気はないんだよね。ニュアンスは「人の心に火を付ける」って感じかな。
どこかで聞いたと思ったら、キリンの缶コーヒー「ファイア」のキャッチコピーだね。
ファイアの三浦知良選手と坂本龍一さんの対談いいから、是非見てみて(笑)
あんちゃんのこれからが楽しみだなあ。
「まだ未来が決まっていない状態」にワクワクしてる。日々、選択肢を増やすことに本気になれてる自分がいるんだよね。
面白いことやるから、ぜひ俺のことチェックしててね。
「理由はわからないけれど、かっこよく見える」
それが安藤圭祐という男だ。
持論を語らせれば口が立つし、スポーツをさせれば日本代表に上り詰める。
そんな光の当たった部分を見てきたけれど、劣等感とか、失敗とか、長く伸びた鼻を折られる経験とか、そういった部分もあったのだ。
「これと決めたら、あとは全てのリソースをつぎ込むだけ」
そう語る彼が、次に「これ」と決める道は、どんな道なんだろう。
安藤圭祐(あんどう・けいすけ)
1992年生まれ。目黒区出身。
ラクロス元全日本代表。慶應義塾大学在学中、ラクロス部主将として大学日本一を経験。
株式会社リクルートキャリアを経て、株式会社PDS総研にて秘書や新規事業開発などを行う。