大学時代の同期・安藤圭祐くんは、在学中からラクロス日本代表のゴーリー(ゴールキーパー)として活躍していた。みんなの「憧れの的」的存在。
大学卒業後も飲み仲間として頻繁に会っているが、アルコールが入ると真面目な話をしないため、彼の人生について深く聞くことはなかった。
彼は今、新卒で入ったリクルートを退職してとある会社社長の鞄持ちをしているらしい。鞄持ちって何?これからどうするの?「をかしのカンヅメ」では会社員として働く人を取材したことがない。ぜひ、その話を聞きたいと思った。
「かっこよく」あり続ける安藤圭祐(通称:あんちゃん)の人生について聞いた。
心が赴くままに過ごした幼少期
あんちゃんの小さい時ってあんまり想像できないなあ。どんな感じだったの?
幼少期は、ただひたすらに好きなことをやりまくってたな。かけっこ、サッカー、虫取り、レゴブロック…心が赴くままに全部やってた。親友と、どっちが一番に登園できるか競ったりも。
ずっと動き回ってたんだね(笑)
幼稚園の先生も、手を焼いてたんじゃない?
いや、それで誰かを困らせたりすることはなかったかな。その証拠に、園長先生が亡くなったときに園児代表で弔辞を読んでたから。親のしつけもよかったのかな。
どんなしつけを受けてきた?
「水泳をやりたい」「サッカーをやりたい」っていう希望は全て叶えてもらってた。意思決定は常に自分ができていたと思う。
父親は自営業で年末年始も関係なく必死に働いているんだけど、唯一土曜日だけはお休み。土曜日は必ず俺を日帰りで日本全国に連れて行ってくれた。その時は父親の貴重品が入ったバッグを俺に持たせてたね。「これをなくしたら家に帰れない」っていう状況に置かれてた。
面白い!責任感と「自分で決める」ということを幼少期から教わっていたんだね。
小学生の時はどうだった?
小学1年生の時に、東京の目黒に引越し。転校当時はいじめられてたんだよね。
転校生という理由で?
まあ、スポーツも勉強も一番だったから、気に食わなかったんだと思う。小学生のKPI(評価指標)って、かけっこじゃん?(笑)
でも、一切やり返さなかったね。
なんで?
やり返すことが何の意味も持ってないと直感でわかってた。こいつらと仲が悪くなることにメリットがないなって。次第に仲良くなって、いつの間にか学校のスーパースターになってたよ。
その頃、サッカーを始めたんだよね?
本当は野球がやりたかったんだけど、周りに野球やってる奴が一切いなくてさ。それでサッカーを。サッカー技術があったわけじゃないんだけど、とにかく足が速かったからたくさんシュートを決めてました。
勉強の方はどうだった?
親に「中学受験のための塾があるけどいく?」って聞かれて、「中学受験」が何かもよくわからないままに通うようになってさ。
というのも、お試しで行った時のテストの成績が非常によくて、先生にすごく褒められたんだよね。「評価されること」自体が嬉しくて。
それで、自然な流れで中学受験をするわけだ。
本当に勉強ができる奴らが集まってたから、自然と自分のレベルも上がっていったんだよね。だから、「受験戦争を戦った」っていう感覚は全くなくて。
塾に行けば、面白い奴らに会えて、そいつらと競って、帰り道に自由が丘の自動販売機でジュース買って帰る、そのルーティーンが好きだった。
楽しいことをしていたら、自然と自分のレベルが向上していたっていう好循環に身を置けていたような気がする。
受験校はどうやって決めたの?
周りは、開成・麻布・筑駒といった受験校に決めている中で、親から慶應・青学・立教、つまり中学受験で入ったらそのまま大学までエスカレーターで行ける学校を提示されたのね。「もう一回受験するの嫌でしょ?」って。
この選択肢がミソでさ。当時の学力だったら慶應一択なの。他の2校は偏差値でいうと20くらい違うから。あたかも自分が決定しているようだけど、今思うと親のテーブルに乗っかってたわけです。
でも当時は、「自分で選んだ道」だと確信していたな。
なるほどね。親の手のひらの上とはいえ、「自分で意思決定する」ことをここでも経験しているわけだ。
慶應普通部(慶應義塾の中学校)に入学してからも、ブイブイ言わせてたんでしょう?
中学3年間は「THE・地味」って感じだったね(笑)
「地元じゃ負け知らず♪」って感じで入学するじゃん?なのに幼稚舎(慶應義塾の小学校)上がりの奴にスポーツも勉強も勝てない。身長も20cmくらい違って、俺の肩くらいに腰があるんだよ。
サッカー部でも3年の時唯一2軍で全く試合に出れなくて、地味キャラだったし。当時は身長が150cmなくてクラスでも「ちびキャラ」。
小学校や中学校における評価軸って、スポーツや勉強、面白さ、くらいじゃん?その3つで俺はどれにも当てはまらなかったから、特にサッカー部内では全く存在感がなかったと思う。
⾼校・大学に進むにつれて、その評価軸はどんどん多様化していくんだけどね。
そっか…。今思えば馬鹿らしいと感じるかもしれないけれど、当時はその評価軸で評価されることって重要な問題だったりするもんなあ。
戦略的に選んだ「ラクロス」
サッカーからラクロスに転向した理由は?
サッカーの試合中に、ただ走ってただけなのに170cmの奴の肘が鼻に当たって鼻血を出した時に「もうサッカーは辞めよう」と決めたんだよね。
高校生になってどの部活にしようか悩んでいた時に、ラクロス部の説明に「みんながカレッジスポーツとして始めるスポーツを高校からやらないか?」というキャッチコピーを発見。
高校3年頑張れば、大学入学時には周り初心者なのに俺は4年目。スーパースターになれると思ったのがラクロスを始めた理由。
そして、日本代表も目指せるマイナースポーツだったというのもきっかけ。だから、最初から日本代表を目標に練習してた。
あとは自分のリソースをラクロスにブッ込むだけだから、朝から夜までずっと練習。夏休みは、朝に大学の練習で全身あざだらけになって、そのあと高校の練習して、食堂で飯食って、また日が暮れるまでシュート練。
その時からゴーリーのポジションだったよね?どうやってポジションを選んだの?
全部のポジションをチェックして、一番層が薄いポジションを選んだ。それが結果的によかったね。
新しい活躍の場ができて、あんちゃんの自己肯定感も上がっていったのかな?
ラクロスが純粋に楽しかった。大学生や社会人とも関わる機会が増えて、海外遠征にもいけて、世界が広がったしね。
でも一方で、学校には小さい頃からやってきたスポーツを極めて、全国を目指している野球部やラグビー部、サッカー部のメンバーなんかがいて、劣等感は常にあったな。
自分は一つの道を諦めてしまった、という劣等感?
そう。当時はラクロス部が「チャラクロス」って呼ばれるくらい評価されてなかったってのもあるね。
あんちゃんって、人の目をあまり気にしないイメージがあったんだけど、そうやって人と比べたり、人の目を気にしたりもするんだね。
めちゃくちゃ人の目は気にするし、周りに気を遣っちゃう。
例えば5人くらいがうちに遊びにきてテレビゲームやるじゃん?4人対戦の時は、ゲームできないもう一人の子になんて声をかけるかめっちゃ考えてた。
自分自身がかまちょだし寂しがり屋だから、逆の立場だったら寂しいだろうと思っちゃうんだよね。
ラクロスという打ち込めるものを見つけてからのあんちゃんは、どう変わった?
「好きなことに好きなだけ打ち込んだら、結果的に褒められ、周りが喜ぶ経験」がラクロスではできたんだよね。
そういう好循環を小学生以来取り戻せたという感じ。
何でそこまでラクロスにのめりこめたんだと思う?
ラクロス自体が楽しかったこと、日本一っていう目標があったこと、劣等感があったからの3つかな。
そのままエスカレーター式に大学に進学したんだよね。 私は富山の高校を卒業して大学に入学した時、自分とは全く違う人生を歩んできた人たちにたくさん出会って、カルチャーショックを受けたんだけど…あんちゃんはどうだった?
エスカレーター式とはいえ外部からの進学も多いから、いろんなバックグラウンド持った人と交流できて楽しかった。
その交流や、自分がどハマりしているラクロスという存在のおかげで、これまで自分が気にしていた評価基準って、結局自分の中にある固定概念でしかないことに気づいたんだよね。
それまで気になっていた評価軸が気にならなくなったことが自分にとっては一番大きかった。そして、「何かに打ち込んでいる奴が一番だな」と思えるようになった。
なるほどね。
ラクロスにはプロリーグがないから、大学卒業後に「ラクロスで食べていく」ことはできないよね。大学入学当時は、将来についてどういうプランを立てていたの?
卒業したら働きながらプレーしなければいけないことはわかってたけれど、就職活動については何にも考えてない。「こういう仕事がしたい」も全くなかったね。
何とかなるというか、「俺を採用しない会社はこの世には存在しない」と思ってた(笑)
想像つくわ(笑)
大学では100%をラクロスに注ぎ込んでたから、採用面接では部活動しか話すことないじゃん?そういう俺が、就職活動で部活を休むことは矛盾だと思ったの。だから、1日も休まずに、誰しもが憧れる大企業にあっさり入るっていうのが当時の目標だった。
だから、三菱商事と三井不動産しか受けてない。そこに興味があったわけではないけど「誰しもが憧れる大企業」だと思ったから。それで結局、両方落ちる。
当時のこと、よく覚えてるよ。あんちゃんが落ちたって聞いて、驚いたもん。
でも落ちて当然だよね。史菜が会社の採用担当だったら、「お前の会社人気らしいじゃん?俺採用しないの?」っていうスタンスで受けに来る奴採用する?そりゃあ落ちるよ(笑)