をかしのカンヅメ Vol.4
公開日:2019_09_28

お国自慢なら誰にも負けん。
宮崎愛で草サッカーチームをJリーグへ導く熱き男|柳田和洋

Guest:柳田和洋さん / Text:中﨑史菜

テゲバジャーロという傘を差したい

「テゲバジャーロ宮崎」のこれからがとっても楽しみなんですが、どんな展望を持っておられるんですか?

組織が大きくなればできることが増えます。立ち上げ当初、テゲバは強いチームじゃなかったので日の目を見なかったですけど、こうやって取材してもらえるようにもなってきた。だからどんどん大きくして、女子サッカーや障害者スポーツにもスポットライトを当てていきたいんです。

テゲバジャーロという傘の下に、雨に濡れないようにどれだけの仲間を入れられるだろうかと考えています。クラブは公共性を持たなければならないので、サッカーだけじゃなくてバスケットボールやラグビーのチームを作ってもいい。宮崎を元気にする一つのツールでありたい。

例えば宮崎市の隣の新富町にスタジアムを建設中ですが、この動きに付随して政治家だけでなく民間からも地元を盛り上げようとする動きが広まっています。

政治家の方は政治というツールで、起業家はビジネスというツールで、テゲバジャーロはサッカーというツールで、県外に宮崎の良さをどんどん発信して、県内ではインフラが発達し、経済が豊かになっていく、という形が理想です。

まあ、もっと原点に立ちかえると、町の人が喜ぶものを作れば必然と応援されるようになるってことです。

テゲバジャーロという傘は、どこまで大きくなっていくのでしょうか。

「総合型地域スポーツクラブ」のような形の傘になることが理想かと思っています。

秋本がテゲバジャーロに合流した理由は、彼女が女子サッカーチームを持っていて、障害者サッカーにも関わっていきたいと考えていたから。「テゲバの傘を貸してくれませんか?」という申し出を受けたのです。

テゲバの名前を借りることで、発信力や集客力が増します。もともと1〜2人で月に1度だった活動を、素晴らしい芝のグラウンドで月に3回10人〜20人集まれるようになるってメリットでしょ?

テゲバの傘に入ってきた人たちが恩恵を受けられるようになったらいい。小・中学生が入る育成チームからJリーグに参戦するトップチームがあって、さらにバスケチームやラグビーチーム、ウォーキング部や釣り部、料理部なんかがある。ウォーキング部員のおばちゃんが、Jリーグの応援に来る。釣り部が釣ってきた魚を料理部が調理して、育成チームの子供達が食べる。バスケ選手とラグビー選手がお互いの試合の応援にいく、料理部が食育を担当して全ての選手に提供する・・・

共栄部分が大きくなることで、テゲバ の傘に入るメリットが増えていく。傘が大きくなるというのはそういうことかな。

総合型スポーツクラブのような形と表現しましたが、別の言い方にすると「互助する」ということだと思います。社会貢献という価値があるからこそ、スポンサーや行政がサポートしてくれる。

さらに言えば、宮崎の魅力が増して観光客が増えるとか、インターンが来るとか、そういうサイクルがどんどん大きくなれば、中国や韓国からも宮崎でスポーツ教育を受けたいという人が来てくれるかもしれない。

県内で傘を作る目的は、宮崎を囲うためではなくて外に開いていくためなんですね。

その通り。

今回、「をかしなfestival in 青島」でコラボしたいという申し出を受けた時に、「やればいいじゃん!なんなら今度、試合でもアーティストに歌ってもらえばいいじゃん!」って即答したのも、これまで出会ったことのないものに出会う場所を作りたかったから。

例えば「をかしな編集部」が集めてくれた宮崎出身アーティストのことを、テゲバファンが「今まで知らんかったけど、いいやん」って思ってくれたらそれで良い。

この間「をかしな編集部」がホームゲームのハーフタイムショーをやってくれたけど、そうすると単なる「サッカー観戦の日」が、いい音楽聞いて、宮崎の美味しいもん食って、サッカー観てっていう最高の1日になる。

食も感動も味わえる場所を大きく作っていきたい。できるかどうかわからんよ。でも口にしないとできないから。

そうやって言い続けることで、「テゲバと関わったら面白そう」って思ってくれたら嬉しい。

まさに我々は「テゲバと関わったら面白そう」と思い、こうしてフェスティバルを一緒に開催したいと打診したのです。
先ほどから宮崎への愛がビンビン伝わってくるんですが、ここだけの話、宮崎で生活し続けること、宮崎で挑戦し続けることに迷いが生じることはないんですか?

ないですね(笑)

だって、宮崎には誇れるものがいっぱいあるんですよ。東国原英夫さんが知事になって、ちょこっとマンゴー食ったり地鶏食ったり、南蛮食ったりするだけで、あっという間に有名になったでしょ?宣伝の下手さを感じると同時に、宮崎にはたくさんいいものがあるやんって気づいて。

2013年に「スポーツマネージャーズカレッジ(SMC)」というJFAが主催するスポーツマネージャー養成講座に参加していたんです。全国から25人くらい集まりました。初めましての25人が何を話すかって言ったら、お国自慢しかないんですよ。

お互いの故郷をいじったり、いじられたりしていると、良いとこ自慢だったら宮崎はどこにも負けないと思いました。その証拠に、SMCメンバーの半分以上が宮崎に遊びに来てくれてます。まあ、宮崎を好きになってもらいたいので、全力でおもてなしするから何度も来てくれるんだと思いますけどね。

テゲバジャーロの試合でも、来場者プレゼントとして宮崎県産レタスを2000個以上配るなど宮崎の良さを伝えるための取り組みをしています。観客数も平均403人から2.5倍に増えた今年度、もっと多くの方に楽しんでほしいですね。

スポーツは長く続くことが前提ですから、一時の盛り上がりではなくて着実なファンづくりが大切です。例えば甲子園や高校サッカー選手権で地元の学校が優勝するとわっと盛り上がるんですが、高校スポーツはそこで燃え尽きてしまう。高校スポーツで活躍した選手たちがどれだけ日本代表になっていけるかも見据えないといけません。

どうやって愛され続けるスポーツクラブを作って行こうと思っていますか?

面白いこと、ワクワクすることをやり続け、人を感動させたい

人の感情ってなかなか動かせないじゃん。今、中﨑さん(インタビュアー)を泣かせる方法と言えば、殴るくらいしか思いつかないけれど、スポーツには感動させて涙を流させる力がある。

この間、ファンの小学生姉妹がテゲバが負けた時に号泣してくれました。この子たちの人生の一部に、クラブはいるんだろうなと思えたのが、負けたけれど嬉しかった。週末はテゲバの応援に行って、選手たちと写真を撮って・・・っていう光景は、今まで街にはなかったわけ。

テゲバジャーロが人生や生活の一部になって、チームのプレーに一喜一憂してくれているのがすげー嬉しくて。「応援が足りなかったから負けちゃった。また次行こう」ってなっているのが実感できるから嬉しいし、これをブラッシュアップして大きくしていくのも俺の使命だと思っています。

「人を感動させる」ということ、私も文章を書くことで成し遂げたいと常々思っています。

できるかな〜?(笑)

これまで取材を受けて、記事に感情移入したライターさんは1回しかないんだよね。「ファンの人に何を見にきてほしいですか」とか「サッカーを始めたきっかけはなんですか?」なんて上っ面の質問されても、意味ないんだよね。

先ほど、そんな上っ面の質問をした気がします。(笑)

サッカーの試合はハスの花みたいに綺麗なところだけど、泥の中に根っこがあるじゃん。もっとドロドロで滑稽なところってあるじゃん。

サッカーでプロという日の当たる場所に向かうために足掻いてる姿、人生の試合の方を見てもらいたい。優勝という栄光じゃなくて、そのバックボーンに焦点を当てたい。生々しい部分に触れることで、試合観に行っても感情移入できるわけよ。

今、サンシャインFMさんで『テゲバRADIO~Jへの挑戦~』という番組を毎週やっています。ラジオの構成も、もっと選手たちの心臓に手を突っ込むくらいのエピソードを伝えられるように変えていき、人の琴線に触れるものにしたい。

中﨑さんにも、そんな刺さる文章を書くライターになってほしい。(笑)

精進します!

「Jリーグ昇格まで騙され続けてくれないか?」

選手は入れ替わり、スタッフ陣も変わっていくのがクラブチームの常だと思います。それでも「テゲバジャーロ宮崎」というチームは存在し続けますよね。
極端な話、100年後には柳田さんはゼネラルマネージャーではなくなっているはず。これから柳田さんはチームとどう関わっていかれるのでしょうか。

チームは車輪と一緒で、転がりだしたら転がり続ける。

チームを立ち上げてからずっと自分が率先して前に立ってやってきたのは、長く関わる自分がチームに”初動”を与えようと思ったから。

でも最近は、「テゲバジャーロ」というチームに少しずつ価値がついてきたので、監督や選手が前に立つ機会を増やしています。

このチームは自分が作りあげたけど、自分のものではない。渡す時期もあるだろうし、関わり続ける選択肢も、関わらない選択肢もある。結局は、できる人がやるっていうのが一番いいと思っています。俺が後生大事に持っていても、それがチームにとって最善ではない。愛するからこそ手放す選択肢もあります。

なるほど、車輪はもう動き出したから、正しい方向へ導く人さえいれば柳田さんが手を添えなくてもよくなる時が来ると。

うん、物分かりのいい人間にはなろうと思う。

俺がここまで続けてきた事実は変わらないけれど、クラブは公共財。クラブがよくなるための選択肢に出会ったら、バトンを渡す時がくるはず。

組織が大きくなれば、ここまで俺が一人でできていたけどできなくなることもある。俺がここまでやってきたという事実は変わらないしね。寂しいけれど、それでいいと思う。

少ししんみりしてしまいましたが、最後に一つ聞かせてください。
柳田さんのお仕事は何ですか?

かっこいいこと言った方がいいっちゃろか?(笑)

これまでを振り返ると、選手も役員もスタッフも、ほとんど自分が口説いてきてもらっとるんよね。いつも彼らには「お前らは俺に騙されて連れてこられた人間だ」って言っています。

草サッカーチームの頃から、想像もつかないし叶うかどうかもわからないJリーグっていう大きすぎる夢を語ってきました。計算抜きに俺はただ夢を語って、それをみんなが手助けしてくれてここまできたんです。

Jリーグまであと少しというところまで来たから、もうちょっと騙され続けて、俺に付き合ってくださいっていう話を彼らには常々しています。

「夢追人」なんてかっこいいことは言えないから・・・俺の仕事は「詐欺師」にしておいて。(笑)

みんな、柳田さんと一緒に夢を実現するために、騙され続けてるんですね。人たらしな詐欺師だなあ〜笑

今事務局をやってくれている増田わかなも、仕事がめちゃくちゃできるから一緒にやりたくて。「力貸してくれ」と頼んでも首を縦に振らなかったんだけど、諸葛亮を口説くように「三顧の礼」を尽くしたら3回目で行きますって言ってくれて。あいつも騙されたな。(笑)

秋本も女子サッカーや障害者スポーツを発展したいという気持ちでテゲバに加わってくれたけど、最初は「金がねえからバイトで職員担ってくれないか。その代わりにJリーグには絶対行くから」って言って。結局みんな騙されてきてんだよね。(笑)

ま、自信のある詐欺だから許してくれ。

ありがとうございます。柳田さんの宮崎への愛、人への愛の深さに感動しました。

・・・今日は明石家さんまみたいにいっぱい喋っちゃった。(笑)

今度富山いきますね。あ、でも何もないんだろうなー。米騒動くらいしか思いつかん。

ちょっと!お国自慢なら負けませんよ。富山で最高のおもてなしをします。

お国自慢、負ける気がしないね。(笑)

ありがとうございました。


柳田さんとともに走ってきた秋本さんは、彼の魅力を「熱」だと表現する。県リーグで戦っていた時から、J1で戦う姿をずっと意識して、そんな夢を語り続けてきた柳田さん。

最近はさらにその先に見える「世界」を口にすることも増えたという。

「でも夢を語っているだけでなく、一つひとつ叶えてきたから、この人と一緒にいたら面白いかもと思っていろんな人が集まってくるんですよ。」と秋本さん。彼女の顔もまた、イキイキとしていた。

柳田和洋(やなぎた・かずひろ)
1973年1月11日宮崎県門川町生まれ。
門川町立門川小学校、門川中学校、宮崎県立日向高等学校卒。
株式会社テゲバジャーロ宮崎 取締役GM。
名古屋商科大学サッカー部で1年生の時からFWとして活躍。
1995年、宮崎へUターンし建設業に就職。
1999年、門川クラブ選手兼監督に就任し、2003年宮崎県サッカーリーグ昇格。
2004年、クラブ名をAndiamo門川に変更。
2007年、クラブ名をMSU FCに変更し、2008年に宮崎県リーグ1部へ昇格を果たす。
2010年、MSU FCを九州リーグ昇格に導く。
2013年、県リーグへの降格を機に「JFA SPORTS MANAGERS COLLEGE」でスポーツマネジメントを学ぶ。翌年再昇格を果たす。
2015年、クラブ名をテゲバジャーロ宮崎に変更し代表に就任。
2018年、テゲバジャーロ宮崎がJFL(日本フットボールリーグ)に昇格。
2019年、テゲバジャーロ宮崎が「Jリーグ百年構想クラブ」に認定される。
代表取締役から取締役GMに就任

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