をかしのカンヅメ Vol.3
公開日:2019_06_15

彼女が歌えばそこがステージに。
一念発起し上京したシンガーソングライター|山田祥子

Guest:山田祥子さん / Text:中崎史菜

仙台から上京し、東京でシンガーソングライターとして活動している山田祥子さん。

仙台では仕事が絶えない彼女は、なぜ2年前東京で活動することを選んだのだろうか。

全国区では「名前が売れている」とは言いがたい彼女。まだまだ模索状態の日々が続いているらしい。

そして、全国区で自分を売り出すために自分自身を今一度見つめ直したいと思ったという。

そのヒントを探るため、インタビューに応じてくれた。

“非常階段コンサート”のチケットを配り歩く小学生

小学生の頃の山田祥子さん

初めまして。今日はよろしくお願いします。
祥子さんは今どんな活動をされているんですか?

初めまして!

2017年9月に仙台から東京に出てきました。現在は関東と東北を中心にフリーでシンガーソングライターとして活動しています。

今一度、自分を客観的に見つめ直したいと思われた理由はなんだったのでしょうか?

歌うことは得意だし、自分で作詞作曲をすることもできます。でもそれはシンガーソングライター全員がやっていることですよね。

私だけにしかない、特徴的なものって何かわからなくなってしまって。

なるほど。自分の特徴って、自分にとっては当たり前すぎて価値を感じづらいですよね。
祥子さんは、いつから歌うことが好きだったんですか?

物心ついた時から歌っていたんですよね。

幼稚園の時は場所も人の目も気にせず、ずっと1人で歌っていたのでクラスの人に軽く引かれてたと思います。笑

小学校の頃は「昼休みに非常階段コンサートするから来てね」って自分で作ったコンサートチケットみんなに配っていました。ちょっと変わってましたね。

「非常階段コンサート」がツボすぎます。笑
なかなかのツワモノですね。

そうなんですよ。笑

高校生のときは全国大会常連校の合唱部に入って3年間発声の基礎を学び、大学に入ってからはバンドを組んで、自由に音楽をやっていました。

ただの趣味で歌っていても満足できない

高校生の時の山田祥子さん(左)

大学卒業後すぐにシンガーソングライターになったんですか?

いえ、住宅メーカーへ就職しました。

大学を卒業する3月に東日本大震災が起こりました。内定取り消しされる人も多かったんですが、住宅メーカーだったので逆に激務が始まって。

卒業式もないままに4月になり、社会人になってすぐその状況だったので、心身ともに疲れて潰れ、9ヶ月ぐらいで最初の会社を退社しました。

なるほど。 私は震災の年に大学入学したんですが、あの年は「始まり」と「終わり」が曖昧だったように感じます。

その後に心身のリハビリをしながら働けるところを探していたんです。

すると仙台市が仮設住宅の臨時職員を募集していたので集会所の管理人になりました。

ボランティアさんの受け入れ窓口や、仙台市と住民の間を取り次いだりしていましたが、この仕事は契約期間が決まっていたので辞めざるを得ず、そのあとの仕事を探していました。

毎月集会所にボランティアに来ていた団体の一つが、「アートインクルージョン」という名前のボランティア団体でした。社長さんにはよく面倒を見ていただいていて、任意団体だったアートインクルージョンを会社にするのを手伝わないか、と誘われて入社することにしたんです。

アートインクルージョンさんはどんな会社なんですか?

歌や絵、詩などの芸術ですべての人を包み込むような社会を作っていこう、という理念を持った会社です。

障がいの有無とかジェンダーとか国籍とか関わりなく、少数者の立場に置かれている人たちが社会に積極的に関わっていくことを目指しています。

東京に来るまでの4年間、そこで会社立ち上げに関わる業務や、障がい者福祉事業、それに加えて歌を教えたり。毎日障がいのある人と一緒に過ごしていました。

その傍ら、仙台の音楽事務所に所属して土日に自分のライブ活動をやっていました。宮城県内のCMソングをいっぱい歌わせてもらったので、県内に名前が一気に広がりました。

かなり引っ張りだこだったんじゃないですか?

お陰様で、県内ではいろんなイベントにお声がけいただくようになりました。

アートインクルージョンも「自分の夢を追いかけなさい」と理解があって背中を押してくれる会社だったので、音楽活動も自由にさせてもらいました。

でも、だんだん音楽の方が忙しくなってきたので、週5勤務を週4勤務にしてもらい、休みの日は全部音楽活動に充てていましたね。

かなり理解のある会社ですね!
音楽活動はすごく順調に聞こえるのですが、祥子さんはそれでは満足しなかったんですか?

活動していて気づいたのは、ただの趣味で歌っていても私は満足できないということでした。私には幼稚園の時から思い描いていた景色があるんです。広い広い会場に満員のお客さんがいて、その中で私の声が響いてる景色

それはつまり、メジャーデビューするってことなんだ、って気づいたんです。

28歳の時にずっとここで働いていても、その景色は見られないと思いました。30歳手前にして「行くなら今しかない、ちゃんと挑戦しよう」と思ってポーンと東京に出てきて、一人暮らしを始めました。

思い描いていた景色を実現するために逆算したら「今しかない」と思われたんですね。

でも、ポーンと出てきただけなので最初は全然うまくいかなくて。

音楽仲間のツテで偉い人と繋がれるんじゃないかとすごく甘い考えでいたんですが、繋がりができても、そこから広がることはないんです。

例えばテレビ局や音楽事務所の人にCDを渡せても、それ以上進まなくて終わり。

大きい進捗がないまま、アルバイトと初めての1人暮らしに追われ、あっという間に1年が終わってしまいました。

デビューを夢見るアーティストはたくさんいるから、差別化できないと生き残っていけない厳しさがあるんでしょうね。

感動の発信源は私でありたい

”祥子ちゃんの歌の時間”があった幼稚園

祥子ちゃんが、一番最初に人前で歌ったのはいつですか?

一番最初の記憶は幼稚園だなあ。 人前に立って目立つのが好きでした。

幼稚園のときって先生がピアノ弾いて、みんなで歌う時間がありますよね?でもなぜか、私だけが歌う時間があったんですよね。

私が「歌いたい!歌いたい!」ってせがむもんだから、先生が「はい!次は祥子ちゃんの歌をみんなで聴きましょう!」って時間をくださってたんです。その頃からみんなの前に立って歌うのが気持ちよかったんですよね。

すごい!幼稚園の先生はのびのびと好きなことをさせてくれてたんですね。

その延長線で小学校の頃は自分で非常階段ライブチケットを勝手に配ったり、歌だけでなくモノマネしたり、エンターテイナーみたいなこともやってました。そういう非現実的なものを見せることがすごい好きなんですよね。

非日常空間に自分が立つだけじゃなくて、周りもその世界へ惹き込むことが小さい頃からできていたんですね。
祥子ちゃんのお話を聞いていると、「歌うこと」というよりは「聴いてもらうこと」が好きなんだと感じたのですが、いかがですか?

お客さんのいない海や野原に向かって歌う行為自体も、きっと好きなんだとは思うんです。そうじゃないと「シンガーソングライター」という今の仕事を選んでないと思うんで。

でも大きい会場にたくさんの人が集まって、そこに自分の声が響いて、それを聴いてくれるお客さんがいる風景はずっとイメージしてきました。

武道館や東京ドームのように何万人規模の空間に老若男女が集っていて、感動して聴いてくださっているイメージです。

私自身、音楽を聴いて心震える瞬間が今まで何回もありました。

本当にだめになったときに曲を聴いて心が震えたり、今までと違う自分に出会って感動を覚えたり・・・。その瞬間瞬間が本当にすばらしいものだと信じているから、それを私以外の人と共有したいんです。

そして、その感動の発信源が私であれば最高です。

自分で歌うだけじゃなくて、歌詞を書いて曲をつけてっていうところにこだわっている理由は何かあるんですか。

実は作詞するのは苦手なんですよ。 メロディーをつけるのは好きなんですけど。

え、そうなんですか!?

事務所に所属していた時は、事務所の曲を歌っていたんです。でも辞めて完全に1人になったときに、歌える曲が何もなくて。ピアノも上手く弾けなかったのでカバー曲もできなかったんです。

そこから頑張って独学でピアノを練習して、自分で曲を作ることを始めました。だからきっかけは「歌う曲がないから作るしかない」ということだったんです。

でも最近は自分で曲を作ることにこだわりが出てきて、誰かの作った曲を歌うときにちょっと違和感を感じるようにもなってきました。

その違和感ってどういうものですか?

「自分の言葉じゃないな」と。

例えば誰かから「これを祥子ちゃんの曲として歌って」って提供されると、この言い回し・言葉のチョイス・ニュアンスは私だったら使わないよなとか思うんです。

前だったら何でも提供してもらったものを歌います!と思ってたんですけどね。

最初、作詞は仕方なくやっていたけれど、今はちょっとずつ変わりつつあるんですね。
これからはどうしていきたいですか?

これからは自分の曲をもっと書かなきゃなって思ってて。

正直、「書きたい」と「書かなきゃいけない」が混じり合ってますね。いずれは「曲を書きたい」になっていくのが理想です。


幼少期からあちこちの「ステージ」で歌い続けてきた山田祥子さん。

後編では、「山田祥子」を構成する”音楽以外の部分”に触れた。

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